博物館についてスケジュールカテゴリー別府温泉事典リンク集

大分県の温泉(1)

1.はじめに-温泉の定義-
2.大分県の温泉分布・源泉数・温度などの概要

大分県の温泉(2)

3.泉質について
3-1.鉱泉分析法指針による鉱泉の分類
3-2.物質濃度の表わし方
3-3.基本的な泉質の名付け方

大分県の温泉(3)

3-4.泉質の決め方の問題点

大分県の温泉(4)

4.大分県における近年の源泉分布と泉質分布
4-1.適応症による泉質の種類(10種類の泉質)
4-2.平成22年3月末現在における大分県の源泉分布
4-3.陰イオンに着目した大分県の泉質の分布
4-4.いくつかの特異な濃度

大分県の温泉(5)

5.温泉の生成メカニズム
5-1.熱源-火山性温泉と非火山性温泉-

大分県の温泉(6)

大分県温泉調査研究会会長
別府温泉地球博物館理事長

由 佐 悠 紀

5-2.水源-岩漿水は存在するか-

 1846年、ドイツの化学者ブンゼンがアイスランドの火山・温泉を調査したのが、近代的な温泉研究の嚆矢とされる。それ以来、温泉の水そのものの起源の解明は、温泉研究の中心的課題であり、当初から2つの説が提出され、議論が続いていた。すなわち、降水起源と岩漿水起源である。
 降水起源の説は、降水の一部が地下水となり、さらに、その一部が地下深部まで浸透して加熱され、温泉水となって地表に現れるとする考えである。降水が循環しているので、循環水起源とも言われる。
 岩漿水とは、地下深部の岩漿(マグマ)から上昇してきた水で、地球が誕生してから初めて地表に現れたものと考えられ、初生水または処女水とも呼ばれる。ただし、この考えでは、温泉水の全てが岩漿水と言うわけではなく、降水の混合を認めている。
 その他、いくつかの考えが提出されたが、水の起源に関する議論の要点は岩漿水の存在の有無であって、その検出法の開発が直接的な研究課題であった。 大分県においても、大正13(1924)年に京都大学地球物理学研究所が別府市野口原に開設され、研究課題のひとつとして、別府の温泉水中における岩漿水の存在の有無が取り上げられた。

【化学成分による方法】

 まず、溶存する化学成分の種類や組成から岩漿水の存在を推定しようとした。しかし、ナトリウムをはじめとする金属成分は、岩石との間で交換反応を起すから、岩漿水が存在したとしても、化学組成は変化しているので、判定指標にはなり得ない。陰イオンの炭酸水素イオン硫酸イオンも、岩石との間で反応を起すので、無力であった。唯一、塩化物イオン(塩素イオン)は反応性が無い(保存性がある、ともいう)ので、指標になりうるかと思われたが、海水の混入などは判定できても、水そのものの判別の決め手にはならなかった。すなわち、化学成分による指標は見つからなかったのである。

【温泉水の密度による方法】

 化学的な方法とは別に、物理的な方法による判定も試みられた。その方法とは、水の重さ(密度)による判定である。水には「普通の水」と「重い水」がある。後者は「重水」と呼ばれ、これとの対比で、前者は「軽水」と呼ばれることがある。自然界の水のほとんどは「軽水」であるが、「重水」もごくわずかに含まれている。その含有率が、天水と岩漿水では異なるかもしれないと期待されたのである。
 温泉水の密度の精密測定によって、さまざまな密度の水が検出され、有力な方法と期待されたのだが、戦時中だったこともあり、それ以上の進展はなかった。
 ところが、1950年代の終わり頃、次に述べるように、アメリカで画期的な研究方法が実用化されたのである。

【水素と酸素の安定同位体による方法】

(安定同位体とは)

 原子核は陽子と中性子から出来ている。両者の質量は同じだが、陽子はプラス電気を帯びているのに対し、中性子は電気を帯びていない。各原子に付いている原子番号が陽子の数であり、これによって化学的性質が決まる。他方、原子核の質量は陽子数と中性子数の和で決まるので、その値を質量数という。そして、原子番号が同じで質量数が異なるものを、互いに同位体と呼ぶ(別名:同位元素・アイソトープ)。このうち、放射性のものを放射性同位体、そうでないものを安定同位体という。
 すなわち、同位体は原子番号が同じ(化学的性質が同じ)なので、化学的な方法で分別することはできない。
原子力発電の燃料となるウランの放射性同位体は、大部分が質量数238のもの(ウラン238;存在比99.275%)であるが、燃料となるのは質量数235のもの(ウラン235;存在比0.72%)である。したがって、ウラン235を濃縮しなければならないが、両者の化学的性質は同じなので、濃縮は質量のわずかな差を利用して行われる(ガス拡散法など)。


(水素と酸素の同位体)

 水分子を構成する水素の原子番号は1であるが(原子核の陽子が1個)、中性子が付いていないもの(質量数1)、中性子が1個ついているもの(質量数2)、および、2個ついているもの(質量数3)と、水素には3種の同位体がある。
 質量数3のものは「三重水素またはトリチウム(3H またはTと表記)」と呼ばれ、放射性同位体である。放射線(ベータ線)を出して、原子番号2の原子(ヘリウム)に変る。
 質量数2のものは「重水素またはデゥーテリウム(2HまたはDと表記)」と呼ばれ、安定同位体である。質量数1のものが普通の水素であり、「軽水素(1HまたはHと表記)」と呼ばれることもある。表11に、自然界での存在比を示すが、ほとんどが軽水素である。

 他方、酸素(原子番号8)の代表的な同位体と存在比を表12示す。ほとんどが質量数16のもの(中性子数8;16Oと表記)、次いで質量数18のもの(中性子数10;18Oと表記)である。

表11.水素の同位体

同位体

陽子数

中性子数

存在度

1H

1

0

0.999885

2H(D)

1

1

0.000115

3H(T)

1

2

12.33年*

1H と 2H は安定同位体、3H は放射性同位体(極微量)、* は半減期


表12.酸素の安定同位体

同位体

陽子数

中性子数

存在度

16O

8

8

0.99757

17O

8

9

0.00038

18O

8

10

0.00205


(質量分析計)

 先に述べたように、同位体は化学的な方法では分別できないが、質量数が異なることを利用して、分別することができる。そのための機器を「質量分析計」・「マススペクトロメーター」と言う。測定原理は、「帯電した粒子が磁場中を通るとき、進行方向に直交する力を受けるため(フレミングの左手の法則)行路が曲げられるが、軽い粒子ほど大きく曲がる(ニュートンの運動の第2法則)」という現象によっている。
 水素・酸素の安定同位体を用いた水の起源に関する研究は、質量分析計の進歩によって、1950年代以降格段に発展し、温泉水のほとんどは降水(循環水、天水)であることが明らかとなった。すなわち、岩漿水の存在は「いったん」否定された。「いったん」の意味については、後述する。
 この結論は、温泉資源が有限であることを意味している。これによって、温泉の適正な開発利用に当って、流域における降水の消費のされ方、すなわち、水収支の評価の重要性が強く認識されることとなった。


別府温泉での測定例)

 大分県の温泉についても、温泉水の水素と酸素の安定同位体組成が測定された。水素については軽水素と重水素の比(D/H)が、酸素については質量数16のものと18のものの比(18O/16O)が測定される。しかし、そのままの値は小さすぎるため、特殊な表現が用いられるが、ここでは両者を対比した図だけを紹介する。安定同位体がどのようなものであるかを、感じ取っていただければ幸である。

 図4は、別府地域の温泉水・噴気・沸騰水・湧水・地下水などの測定値(生データ)で、横軸が同位体の比に関する値、縦軸が水素同位体の比に関する値である。図中の破線(MWL)は別府地域一帯の降水の関係で、天水線と呼ばれる。データは、天水線に沿いながらも、その両側に散らばっている。しかし、さまざまな効果を考慮した結果、別府温泉の温泉水(熱水・蒸気も含む)は降水起源として解釈できると結論付けられた。(ただし、図の右上にある2つのデータについては、再考の余地があるかもしれない。)


図4 別府におけるさまざまな水の水素・酸素安定同位体組成:北岡ら(1993)による.

 なお、先に述べた「さまざまな効果」とは、次のようなものである。

(1)

岩石の主要成分であるケイ酸塩(シリカ:SiO2)に含まれる酸素同位体と、温泉水の酸素同位体の間には交換反応があり、温泉水の値が図の右方向にずれる。

(2)

熱水が沸騰して液体と蒸気に分離するとき、水素・酸素の同位体に分別現象が起こる。そのため、液体の同位体組成は重い方向にずれ(図では右上方向へ)、蒸気の組成は軽い方向にずれる(図では左下方向へ)。

参考文献
  • 北岡豪一・由佐悠紀・神山孝吉・大沢信二・Stewart, M. K.・日下部実(1993):水素と酸素の安定同位体比からみた別府温泉における地熱流体の移動過程,地下水学会誌,35,287-305.

(つづく)

「大分県環境保全協会会報 EPO 平成24年夏号(2012)」より

↑ページTOP