No.8
「南極で温泉を見つけそこなった」
地球上に、これまで出現した民族がどのくらいあるのか知らないが、その中で温泉に入浴することをことさらに好んだのは、古代ローマ人と我々日本人をもって双璧とするのだそうである。それでは、そのほかの民族は温泉に無関心であったかというと、もちろんそういうわけではなくって、お隣の中国では、白楽天が長恨歌の中で「春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂」と、玄宗皇帝に幸せられた楊貴妃が長安郊外の華清池で温泉に浴したことをうたっているのだから、温泉を好んだ人達もいるにはいたわけである。ただ、不特定多数の人が習慣化するほどに好むことはなかった、ということなのであろう。
その日本人がこのところますます温泉好きになって、かつてないほどの温泉ブームであるらしい。温泉県大分の住人としてはご同慶の至りだが、では温泉とはいったいどういうものを言うのかというと、これがなかなか一筋縄ではいかない。字義のとおり「温かい泉である」と言っても、これがはなはだあいまいなのだ。ここに摂氏十五度の水が湧き出る泉があるとしよう。これに触った人は、夏は冷たく感じ、冬はいくらか暖かく感じるはずだ。そうすると、この泉は温泉でなくても、冬には温泉といってもいいじゃないか、ということになる。それにまた、字義通りには、水が自然に地中から湧き出すのが泉なのだから、ボーリングをしてポンプで汲み上げるのは、たとえどんなに熱くても温泉とはいえないのじゃないか、という理屈が出てきても不思議ではない。
要は温泉を楽しめればいいのだから、こんな議論はどうでもいいようなものだけど、物事をはっきりさせようとすると、こうしたことを問題にしなければならないことが、温泉に限らずしばしばある。温泉にはかなりの経済的価値があるから、当然税金の対象になる。そうすると、どうしてもはっきりさせなくてはならん。というわけで、日本では、法律をつくって温泉というものを定めることにした。摂氏二十五度以上というのが、その基準のひとつである。
さて、三十年ほど前のこと、南極で温泉がみつかったというニュースが、地球科学を研究する人達の間でちょっとした話題になったことがあったらしい。その地球科学、しかも温泉にかかわりあっている私が、「らしい」などとは、いいかげんな言い方であるが、その頃はまだ学生で、興味の対象はいろいろあるし、おまけに南極にも温泉にも関心を持っていなかったのだから、たとえ耳にしていたとしても記憶に残るはずもなく、らしいとしか言いようがないのだ。それから七~八年も後になって、ある日突然、南極に面白そうな所があるらしいから行ってみないか、と誘われたときにやっとこのことを知った。なぜ突然であったかというと、すでに行く人が決まっていたのだが都合が悪くなったので、私にお鉢が回ってきたということであったらしい。多分、温泉の物理なぞをやっている変わり者の若手が、私一人しかいなかったせいだったのだろう、と思う。
その場所は、ニュージーランドのほぼ真南の南極大陸の海岸に近い所にある。写真を見せてもらったら、だだっ広そうな谷で、その谷底に白く氷が張っているほかは、雪も氷ももちろん樹木もなにもない。まるで砂漠である。私の知識では、南極はどこまでも氷河に覆われているに違いなかったので、そのことを言うと、確かに南極であるとの返答である。それにしても温泉なんかありそうにもないので、またそのことを言うと、谷底の氷の下は湖になっていてそれが温泉なのだ、およそ七十メートル底の水温は二十五度もある。ついでに言うと温泉ではないと主張する人もいる。だから、この議論に決着をつけるのが調査の目的のひとつである、となんだかひどくむずかしそうであるし、また面白そうでもある。温泉に違いなかろうというのが、それまでに得られていたデータを見たときの最初の印象であった。
それで、かなりいさんだ気持ちで出かけた。羽田から出発し、シドニーで飛行機を乗り換えて行った。ニュージーランドやオーストラリアは、今、日本人にもっとも人気のある観光地のひとつとなっているらしいが、当時訪れる人はごく少なかった。クライストチャーチには、日本料理店は一軒もなかった。小さな雑貨屋でマッチを買おうとしたのになかなかその発音が通じなかったこと、見たこともない果物(キーウィーフルーツのこと)が売られていて、さすが南半球は違うと感じ入ったことなどを覚えている。あとで知ったことだが、この果物の原産地は中国だそうで、せっかく感激したのに、なんのことはない出自は北半球だったのである。あんまりいろんなことを詮索するのは考えものである。為替レートは一ドル四百円であった。今は八十円ぐらいだそうだから、ちょっと信じられない話である。
クライストチャーチからは、米軍の輸送機が運んでくれる。かつての花形旅客機であるプロペラのスーパーコンステレーションであったが、おしいことに、このシーズンを最後にこの空路から引退してしまった。今でもどこかを飛んでいるのかもしれないと思うけれど、そんな話は聞いたことがない。だから、こんなクラシックな飛行機に乗った人はあまりいないのではなかろうか、と秘かに自慢しているのだが、どうなのだろう。
いくら南極が遠いといっても、なかなかたどりつきそうにもないので、一足飛びに現地に行くことにする。
ヘリコプターが氷河を飛び越えると、ほんとに雪も氷もない赤茶けただだっ広い谷があった。写真で見た光景よりはるかに美しかった。そして、その谷の一番低い所は大きな真っ白い氷で覆われていて、それにバンダ湖という名前が付けられている。大きさを測ってみると、長さは六キロメートル、幅は一・五キロメートルほどもある。悪戦苦闘しながら手回しの大きな錐で氷に穴を開けていったら、その下には水があって、湖であることに間違いない。氷の厚さは三・五メートル、開けるまでにおよそ二時間もかかった。
氷直下の温度は零度だが、湖底の水温は二十五度をわずかに超えていた。日本の法律に従えば(南極に来てまで日本の法律でもあるまいが、拠りどころがないのだからしかたがない)、温泉の基準にあっている。しかも、ここの年平均の気温は零下二十度位だから、考えようによっては、たいへんな高温である。それなのにいろいろと議論があるのは、観測が不完全なためであろうと、来る日も来る日も穴を開けては温度を測り続けた。もし温かい水がどこからか湧いているのなら、周囲より温度の高いところ、つまり異常があるに違いないからである。とうとう二十本ほどもの穴を開けることになった。それほど頑張ってみたのに、どうしても期待したような異常を見つけることは出来なかった。
結局、温泉であろうという予想を捨てなければならなくなった。では、そんなに高温になっている原因は何であるのかというと、これには少々ややこしい理屈があるのだが、太陽からやって来るエネルギーによる加熱だったのである。ひらたく言えば、ひなた水である。これでは温泉とは言えない。これがこの話の結末である。
この初めての調査を含めて、四回南極を往復することになった。それぞれに思い出があるのだが、第一回目のことがやはり一番印象に残っている。今思うと、かなり激しい作業であったのに、ほとんど疲労を感じなかった。若さのなせるわざだったとしか思えない。
南極でペンギンと温泉に…デセプション島は、1967年12月、1969〜1970年に噴火(ふんか)が起きた火山島です。この火山島には天然の温泉があります。また、エレバス山は、今も噴煙(ふんえん)をあげています。
【環境省:なんきょくキッズから】
https://www.env.go.jp/nature/nankyoku/kankyohogo/nankyoku_kids/hakase/chiri/index.html
【RETRIPのデセプション島の写真】
https://retrip.jp/articles/610/
- 「月刊アドバンス大分」 1989年8月 -
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