No.17
「鉄輪の蒸し湯」
鉄輪の蒸し湯を初めて記録したのは貝原益軒だそうで、元禄七(一六九四)年四月の旅行記『豊国紀行』の中に、次のように書いている。
「湯の上にかまへたる風呂有。病者是に入て乾浴す。…滝の高さ二間半ばかり病人是に打連て浴す。」蒸し湯と滝湯による温泉治療が行われていたらしい。
約二百年後、明治の終りに、イギリスの写真家ポンティングが別府に来た。彼は、別府の海岸の砂湯や鉄輪の地獄を見物し、蒸し湯と滝のことを書いた。意訳すると、次ぎのようである。
「鉄輪には日本で最も特異な温泉がある。普通の温泉に入った後、ひどい熱さの岩室に一度に十人余りがもぐり込む。半時間のうちに出てきて、屋根から落ちてきた泥を体に塗り、別の所で地下から汲み上げて引いて来た冷水の滝に打たれる。このトルコ風の入浴は、リウマチに良く効くと言われている」
これによると、普通の温泉浴・蒸し湯・どろ浴・冷水浴の四つがセットになった温泉治療が行われていたようである。
温泉の入り方は、私たち日本人にはあまりにも日常的なためか、記録されたことはあまりないのだが、彼には非常に印象的だったのだろう。私はこれまで、このように具体的な温泉入浴の記録に接したことがなく、たいへん貴重なように思われる。
先だって鉄輪温泉で蒸し湯のシンポジウムがあったことが、本紙で紹介されていた。私は参加できなかったのだが、関連があるので、遅ればせながら紹介する次第である。
【鉄輪むし湯:別府市HPから】
http://www.city.beppu.oita.jp/sisetu/shieionsen/detail11.html
「一夜千両のお湯が湧く」と歌われる別府温泉の中でもひときわ賑わう鉄輪温泉街にむし湯はあります。
鎌倉時代の建治2年(1276)に一遍上人(いっぺんしょうにん)によって創設され、受付の前には一遍上人の木像 が安置されています。
ここのむし湯は独特の形式をとっており、1メートル四方の木戸を開けて中に入ると約8畳ほどの石室があります。 温泉で熱せられた床の上には石菖(せきしょう)という清流沿いにしか群生しない薬草が敷きつめられていて、 その上に人が横たわります。石菖はすばらしい香りで、「豊後鉄輪、むし湯の帰り、肌に石菖の香が残る」と 詩人の野口雨情が詠っているほどです。
※イラスト入浴体験記 むし湯のはいりかた
http://www.city.beppu.oita.jp/doc/sisetu/sieionsen/11/houhou.pdf
- 「大分合同新聞夕刊」 2006年10月 -
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