No.22
「明治三十八年の別府温泉調査」
明治三十八年三月二十八日付けで大分県知事に提出された、原稿用紙六十枚ほどの「別府浜脇町鉱泉ニ関スル取調書類」がある。提出者は鉱山監督官松田 繁氏で、同年二月十六日から末日に実施された現地調査に基づいている。
冒頭には、穿井(掘削)による温泉が増えており、泉源に支障を来すおそれがあるので調査を依託された、と言う意味の動機が記されている。当時の温泉数は両町合せて百九十八、うち百七十三が穿井によるものであった。はやくも百年前に、別府では温泉開発ブームとなり、温泉の枯渇が憂慮されていたのである。
報告は本文と調査表から成り、本文は別府一帯の地質・火山活動・噴気孔・温泉の概説から始まり、次いで別府・浜脇温泉の現況が詳しく述べられ、最後に温泉の保護策が提案されている。調査表には各温泉の穿井年月・温度・湧出量・深さなどが掲げられている。
内容は豊かで、現在でも通用するものが含まれている。その一つは、湧出量の増加に伴い高温になるという事実について、「湧出量ノ少ナキ時ヨリモ地中ヲ上昇ノ際四周ヨリ温度ヲ奪ハルルコト少ナキニ拠ルナラン」という解釈である。また保護策は「温泉ノ源トナルベキ水源ノ涵養、穿井ニ対スル制限ノ二アルノミナリ」とし、そのための具体案を提示している。
二年半ほど前、別府八湯トラストの集会でコピーをいただき、一見して貴重な報告だと思った。なにかの機会に紹介したいと思いながらも、取り紛れているうちに日が過ぎてしまった次第だ。
別府温泉地球博物館のHPに明治38年2月の「別府浜脇両町内温泉調査表」に関する覚書が掲載されています。
http://www.beppumuseum.jp/archives/matsuda04.html
- 「大分合同新聞夕刊」 2004年7月 -
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