No.24
「六十年目の地震計」
中部九州を境にして、九州が南北に離れているという地球科学の知見は、いまや常識になったようである。この考えの先駆けとなったのは、私たちの研究所の最初の助教授であった鈴木政達氏の「別府地域は地殻変動帯であり、その中央部は沈降している」という明確な指摘であったと思う。
この論文は、もともと、昭和八年発行の別府市誌に掲載されたものである。それからほどなくして、鈴木氏は病のため若くして亡くなられた。そのままでは、この画期的な業績は埋没していたかもしれないのであるが、昭和十二年に遺稿として学術誌に転載され、研究者の知るところとなった。
その後の研究は、意識的であったかどうかは別にして、鈴木氏の指摘を検証しようとする方向に進み、その結果として、九州の南北分離というダイナミックな考えにまで発展したといえる。
ついこの間も私たちを驚かせた別府地域の群発地震は、この運動に関連したものであろうと考えられる。しかしながら、これまでは適切な観測設備がなかったために、地震の規模や震源位置さえよく分かっていなかった。
その解明のための微小地震観測が、このほど、ようやくスタートした。観測場所をご提供いただいた方々をはじめ、たくさんの人々のご配慮のおかげである。
鈴木氏の論文から六十年がたっていることを思えば、歩みは遅々としているけれども、まずはデータの蓄積を目指したい。
※大分県の震度計設置場所は77ケ所です。(2018年03月02日現在)
https://data.svir.jp/intens-st/html/data.php?co=44
- 「大分合同新聞夕刊」 1993年4月 -
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