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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.44
「ゴビの湖」

  北京を訪ねると、誰でもが行くところがいくつかある。人類が作った最大の建造物と言われる万里の長城が、そのひとつである。接待してくれる人も心得ていて、ちゃんと日程に組み込んでくれるから、行かざるを得ないと言った方が、むしろ当っているかもしれない。
 なにしろ、中国では巷間、長城を見ないうちは大丈夫じゃない、と言われているくらいである。人々はこれを誇りにし、南極観測基地にも長城という名前を付けているほどなのだ。彼らの思いは、われわれの「日光を見ずして結構と言う勿れ」とか、欧米人の「ナポリを見て死ね」などとは、全然質の違う深さのようにみえる。もっとも、そのあまりの大きさのためもあって、世界の三大なんとかという陰口もあるらしいが、一見に値することは確かである。
 だからと言って、それに感動するという保証はない。私の場合は、いろんな本や絵を通してのおなじみに実際に会ったことに対して、なんとない感慨を覚えはしたものの、感動からはほど遠い心持であった。たぶん、随分無駄なことをしたものだという気が強かったのではないかと思う。
 しかし、無駄であったかどうかは、私たち日本人のように、四方を海で囲まれ、外からの圧力をほとんど経験することなく歴史を過ごしてきた国のものには、ほんとのところは分からないのではないだろうか。現実の用はあまりなさなかったにしても、長城があることで人々は安心していたのではないか、つまり精神的には極めて有用だったのだろうという気がしないでもない。
 そういうわけで、折角の長城も、私にとっては無用の長物に近い。しかし、延々2400キロメートルにもわたって、これを作りあげた昔の人々の、飽くことを知らぬとでも言うようなとてつもないエネルギーには圧倒される。そして、中国の奥地を旅したとき、それはあながち過去だけのものではなく、現代にも受け継がれているのを実感させるものを見た。

 中国最大の湖である青海湖は、漢の時代には西海と呼ばれていた。この世界のことを四海という言い方がある。私はそれを単に抽象化された概念だと思っていたのだが、実は具体的なものでもあって、あとの3つ、東海は東中国海、南海は南中国海、そして北海はバイカル湖のことを指す。中国とは、この4つの海に囲まれた中の国の意なのであると、当地の碩学の先生から聞いた。
 それほどに、青海湖は大きい。ついでに言うと、大昔おそらく百万年以上も前、黄河はこの青海湖から流れ出していたのだが、地殻変動で東部が隆起して、それぞれが切り離されたため、青海湖から流れ出す川は1本も無くなった。だから、湖水はちょっと塩辛い。隆起した場所は、3400メートルを超える高い山、日月山である。
 その青海湖には、青海省の省都・西寧から日月山の峠を通って車で行く。およそ2時間かかる。鉄道もあるにはあるが、便が少ない。この山越えの道は、チベットに通じる古くからの道であり、杜甫が兵車行で歌った兵士達が行軍した道であった。今はもちろん舗装されているのだが、それに沿って、細い丸太のあまり高くない電柱が並んでいるのである。その電柱の列は、青海高原を突っ切って、ずっと奥へと連なっている。どこまで続いているのかは、知らない。人々が、その一本一本を立てていったのだ。初めてこれを見たときは、ご苦労なことだ、くらいにしか思わなかった。
 青海高原も乾燥地帯であるが、その北と西の広大な地域はもっと激しく乾燥し、丈の低い草しか生えていない。私たちが子供のころからよく耳にしてきたゴビとは、そのような地域を表わす蒙古語なのだそうだ。
 ずっと西の方、漢代には西域都護府が置かれたウルムチから、天山山脈の鞍部を抜けて東南に下るとトルファンの盆地に至る。さらに乾燥していて、かなりのスピードで走っても、小一時間ほどは灰色がかった砂礫ばかりの荒野、ゴビ礫石帯である。ところが、ここでも道沿いに青海と同じような電柱が立ち並んでいる。それほどの不毛の地にも、人の手が深く入り込んでいるのである。「驚く」というより「あきれる」のほうが適切で、長城建設の精神いまだ止まず、と思った。
 この乾燥したゴビにも、湖がある。それも、無数にある。とは言っても、現在、そのすべてが水をたたえているわけではない。かなりのものが、干上がるか干上がる寸前、したがって塩分を多量に含んでいるので、それから塩が採られているのである。


 「さまよえる湖」ロプノールも、そうした湖の1つであった。というのは、この有名な湖は干上がってしまったからである。最近の調査によれば、中央アジアの低地部にある湖のほとんどが、浅く小さくなりつつあるという。低地部ではないけれども、あのでかい青海湖にしても、そうなのである。その原因は何か。

 乾燥地帯なのに湖がある、その水はどこから来るのかと不思議に思われるであろう。たしかに、低地部は乾燥している。ウルムチの年間降水量は200ミリメートルに満たず、トルファンでは20ミリメートルほどしかない。大分県の10分の1から100分の1である。しかし、天山山脈のような高山には、かなりの雨や雪が降る。秘密はこれであって、高山から水が流れ下り、その行き着く先の低地が湖になるというわけなのだ。
 立ち並ぶ電柱は、この地域における人間の活発な活動を象徴していると言えるだろう。近年の注目すべき活動は、ゴビの緑地化、耕地化である。おかげで、冬小麦の栽培が可能になったのだそうだ。喜ぶべきことであるには違いない。
 ところが、湖の縮小が進んだのは、この土地開発の進展とどうも呼応しているらしいのである。それは当然のことだろう、と思える。本来、湖に注いでいた水が途中で取られることになったのだから。
 極端に単純化して言うと、天の恵みの水はかつて低地の湖に集中し、その恩恵を受けたのは湖畔の人に限られていた。それが灌漑技術の発展-人間の努力-によって、広い地域に分配され、より沢山の人々が豊かになった。だが、その代償として、湖が縮小しはじめたのである。
 湖の縮小-湖水位の低下は、それだけに止まらないはずだ。たとえば、周辺の地下水位を低下させ、ひいては草の生育を衰えさせ、ついには湖一帯の砂漠化につながるおそれがある。現に、そのような気配もあるらしい。
 幸せを求める努力が別の面では困ったことを引き起こすのは、炭酸ガスやフロンの問題を持ち出すまでもないであろう。開発行為は、すべて諸刃の剣であるらしいことを、人間はようやく知るようになった。しかし、これを是とするか非とするか、その功罪を秤にかけるとき、生半可な批判はとてもできやしないような気がしてくる。

  - 1990年5月-



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