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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.47
「羊1頭を食う」

 子供の頃に読んだ本というのは、その具体的な内容はほとんど忘れてしまっていても、そのときに感じた高揚した心の記憶は、いつまでも残るものであるらしい。残るだけでなく、昇華され純化する。ことにそれが未知の国の英雄の冒険譚であれば、その昇華のされ方は尋常ではない。ついには、その国や土地への強い憧れになる。

 ある人は、その憧れに耐えられず、自らがその中へと足を踏み入れ、ときには、生涯さえも投入してしまう。しかし、多くの人にとっては、おそらく一生の見果てぬ夢で終る。憧れはいつしか日常の生活の中に埋没して、その夢を抱いたことがあったことも忘れている。たまに、足を踏み入れた人々が残してくれた旅行記の類に出会って、かつての夢を想い出すくらいのものだ。
 私の見果てぬ夢の世界は、長いこと中央アジアであった。この憧れが、どういうふうにして生まれたのか、その発端は今となっては分かるはずもない。これと関係のありそうなただ1つの記憶は、1枚の雑誌の挿絵とそれに描かれていた人物の名前だけだ。

 胸を張り、顎を引き、腿を高く上げ、長髪をなびかせて、まさに疾走しようとする、頬のこけた青年-テムジン、後の元太祖チンギス汗-の姿である。
 私の記憶によれば、昭和20年代後半から30年代にかけては、月刊の少年雑誌の全盛期であった。文字の多い読物がぎっしり詰まっていたような気がする。『譚海』という分厚い雑誌は、ほんとに文字ばかりだった。大人向けの作家とされる人達さえもが書いていて、山本周五郎・山手樹一郎・角田喜久雄などの時代小説や江戸川乱歩・横溝正史の怪奇ミステリーの面白さをおぼえたのだ。

 インド独立の志士(と古めかしい言葉で書いてあった)チャンドラ・ボースの名前を知ったのは、なんと、横溝正史が『少年クラブ』に書いていた金田一耕助シリーズからである。ボース氏が、独立運動の資金のため国外に持ち出した財宝を日本のどこかに隠していて、それを毒蛇が守っているというような、横溝正史一流のミステリーであった。

 ここまで書いてきたら、そのありかが秘められた呪文の一節が突然浮かんできた。ながつきなのか、とうばのくりん、と言うのである。前後の言葉は思い出せないので、なんのことやら分からない。  もちろん、漫画(コミックなどとは言わない)もあった。馬場のぼるの「ポストくん」は、ほんとに楽しい漫画だったと思う。読み返してみたいものだが、復刻されたようでもないし、残念である。

 きわめつけは、手塚治虫であった。ずいぶん年上の人だと思っていたのに、私と一回りしか違わない。毎月、ほとんどの雑誌に登場するものだから、その全部を買うことなんてできやしない。友達との回し読みと、貸本屋が頼りであった。
 あの頃、『少年』派と『少年クラブ』派があったのではないかと思うのだが、どうだろう。私見によれば(と言うほどのこともないが)、それは「鉄腕アトム」派と「ロック冒険記」派であった。私は、ロック冒険記の方が好きだったのに、2年ほどであっけなく終ってしまい、アトムに負けたのかと悔しい思いをしたほどである。
 一方、鉄腕アトムの方は延々と続いて、世間を席巻し、とうとう戦後文化の象徴の一つになった観さえある。誤解なきように言っておくのだが、鉄腕アトムも好きである。

 ずっと後になって、300巻もの、あのものすごい手塚治虫漫画全集が出たとき、ロック冒険記はもっと長く続けたかった、というような手塚氏のコメントがあって、ああやっぱりそうだったのかと、嬉しくなったのだから、あれに対する思い入れは相当なものだったのだろう。  こんなことを書いていたら、きりがない。

 さて、その雑誌がなんであったのか、著者が誰であったのか、画家が誰であったのか、そんなことは何一つ覚えてないのに、あの精悍な、というよりはむしろ凄絶な青年の姿と、テムジンの漢字の書き方が鉄木真であることだけは覚えていた。英雄とは、そうした容姿と名前を持つのだと信じたのではないかと思う。
 これには、後日談がある。高等学校で習った世界史の教科書に、彼の肖像画があった。冬瓜のようなふくよかな輪郭の中に、細い眉と小さい目を配し、あまり豊かそうでない口髭とあご鬚をたくわえていて、まるで好々爺である。あの絵の青年とは全然違う。なんだか、はぐらかされたような気分になった。

 あこがれの中央アジアは遠かった。地理上の距離も遠いが、それよりも遠くしているものがあった。だから南極に行ったというわけではないし、中央アジアのことを忘れていたわけでもない。やはり、日常の生活に埋没していたのだ。それを振り切ってまで、憧れに突き進むほどの勇気は持ち合わせていない。
 ゴビの砂漠の旅は無理としても、テムジンの末裔-モンゴルの羊料理ぐらいは食えないものかと、夢は文字どおりいやしいものとなった。私は料理に興味がある。だから、料理をするわけではない。うまいものを食いたいのだ。
 彼らは、羊に鳴き声もあげさせずその生命を断ち、血1滴もこぼさず、1頭まるごとあますところなく料理するという。
 ゴビでもなく、モンゴルの村でもなかったけれど、ほんとに思いもかけず、青海湖のほとりで、彼らと並ぶ遊牧の民チベットのテントで、羊1頭の料理を見て、そして食べた。

 数日前から、1頭を群れから離して、繋いでおく。何故そうするのかは分からない。料理の日、それを草原に連れ出し、四肢をひもで縛ると、男が片方の腕で抱え込み、もう一方の掌で口と鼻を覆った。見た目には、やさしく抱いているようであった。羊はびくともせず、一声もあげず、動かなくなった。
 刃渡り10センチほどの細身のナイフが唯一の料理道具である。それで皮をはぎ、胸から腹を一直線に割き、すべてのものを丁寧に取り出す。胸腔にたまった血液は、ほうろう引きの容器に汲み出される。この間、何の物音もなく、ほんの2滴ほどの血が滴っただけである。

 本で読んだモンゴル法とは、少し違ったが、私はなにかしら感銘に似たものを感じた。清らかな儀式のようでさえあった。そうして、すべての肉がゆでられた。焼いたり、油で揚げたりはしない。血液は小腸に、肝臓のような軟らかい臓器は大腸に詰められ、これもゆでられた。

 これほどに厳粛で、そしてまた、変に思われるかもしれないが、心あたたまるような気持ちで肉を食ったのは、あとにもさきにもない。この地球上には、私たちのとは異なる文化が、厳然と存在する。


青海高原(標高約3000m):1988年夏 羊の群とヤク(長毛の牛)


青海高原のテント村:1988年夏 ここで羊1頭を食べた.

  - 1990年4月-



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