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地球のはなし  別府温泉地球博物館 代表・館長 由佐悠紀

No.48
「ペンギン観測隊」

 高校から大学を出てしばらくの間、私は映画狂いであった。当時は映画くらいしか娯楽はなかったから、たいていの若い者には多かれ少なかれそんな傾向があったのだが、それにしても、試験中であろうがレポートを書いている最中であろうが、週に3日は映画館に通い、日曜になると映画館のはしごさえしたのは、少々異常だったように思う。学生のくせに、時間はともかく、どうしてそんな心理的・経済的余裕があったのか不思議である。それほどであったのに、今ではめったに映画館にいくこともなくなった。その最大の理由は、たぶん、魅力のある邦画がありそうにないためだからではなかろうかと思う。と持って回った言い方しかできないのは、確かに一時期そのような状況があり、私はそれに失望したまま今に至っているので、近ごろの邦画がどんな風であるのか、よく知らないからだ。しかし、気持ちの上では邦画好きであることに変わりはなく、良質の邦画の出現を心待ちにしている。

 昭和30年代のその頃の放送は、もちろんラジオが主体であったが、NHKの第2放送には、たしか土曜の夕方に映画の時間というのがあり、新しく封切られる映画の紹介や批評をやっていた。そして12月30日には、批評家達がその年のベストテンを選出した。映画の全盛時代であり、キネマ旬報や映画の友などの雑誌もそれぞれのベストテンを決める。それに対していっぱしの賛成やら反対やらをしているうちに、生意気にも一家言みたいなものを持つようになった。
 そうして得た私の評価基準は単純で、もう1回見たいかどうか、である。そのような気分が続いて、結果として何回も見ることになるのが傑作ということになる。どんなに批評家が褒めようと、世間の評判になろうと、1回こっきりで終わるのは、私にとってたいした映画ではない。この評価法は、一時しきりに使われた流行語「独断と偏見」に過ぎないかもしれないのであるが、そうとばかりも言えないような気がする。科学論文にしたって、そうだからである。

 この基準によると、最高の傑作は黒澤明の「七人の侍」である。この映画が封切られたのは、私が映画狂いになる以前、中学2年の時であったと思う。学校の行き帰りに見たポスター、その真ん中にずぶぬれになって裸も同然のかっこうで、三船敏郎扮するところの菊千代が刀を振り上げて叫んでいるのは、あるいはそれと実際の映画の画面とがごちゃまぜになっているのかもしれないけれど、強烈な印象として残っている。
 以来、何度見たことか。たぶん、30回を超えているに違いないが、まだ見たい。おそらくこの傑作のファンはかなり多い筈なので、ビデオにしたらベストセラー疑いなしと思うのだが、売り出して欲しいようにも思うし、そう簡単に手に入るようになるのはなんだか癪でもあるし、この心理は妙である。
 そんなに面白いのは、1つひとつの場面の映画的密度が高いからだと思うのだが、加えて、見るたびに楽屋落ちみたいなことも含めて、それまで気が付かなかったことに出会うという楽しみがあるからでもある。
 激しいアクションの合間に詩情に満ちた静寂なシーンが挟まれていて、その対照も大きな魅力であった。夜陰に紛れて単身野武士の群れに入って行き、2人を斬り種子島銃1丁を分捕って、ひたひたと帰ってくる痩身の剣客久蔵のシルエットが、朝もやの立ちこめる木々の間に浮かんでくる場面は、とくに素晴らしかった。

 それと似たような光景を、私は南極で見たことがある。もちろん、一方は茂った林の中であり、他方は水平線のかなたまで大氷原が続くというように、まったく別の世界のことであるが。
 南緯70度を越えた辺りでは、太陽は8月になってようやくその姿を現わし、10月も半ばを過ぎると、一日中水平線の上をめぐるようになる。そうすると、北の海からアデリーペンギンが戻ってくる。彼らは大陸の沿岸や島々の岩場に小石を集めて、巣を作り、卵を産み雛を育てるのである。しかし、気温はまだ相当に低いから、海は凍りついたままである。ペンギンたちは、その大氷原を歩いて来なければならない。
 ペンギンは泳ぐ鳥であって、歩くのは下手だ。なにかに驚くと、あわてふためいて逃げまどうのだが、そんなときは腹ばいになって両翼で氷をかいて滑る。つまりは、氷の上を泳ぐのである。そのあるくのが不得手なペンギンが、おそらく何十キロもの距離を何日もかけてやって来るのである。  太陽はまだ水平線からいくらも昇っていない。ほとんど物音のしない氷原のかなたに、低く射す光を受けて、はじめはけし粒のようにしか見えなかったものが、しだいに長い影をひくようになり、ペンギン独特の歩き方が認められるようになる。

 正直言うと、私は最初のうちは、その小さな黒い点を調査に出た人達のシルエットだとばかり思い、まさかペンギンだとは想像もしていなかった。だから、それがそうだと分かったときの感動は、表現のしようがないほどのものであった。アデリーペンギンの体長はせいぜい60センチくらいである。歩幅は20センチあるかどうか。そんな連中が歩いてきたのかと思って、なおさらだったのである。  それからしばらくして、その営巣地に行く機会があり、数日の間そのそばにテントを張ったことがある。おびただしい数のペンギンが集まっていた。嘴に小石をくわえて運んできて巣作りに余念がないもの、向かい合ってなにやら話し込んでいる風情のカップル、じっと巣にうずくまっているもの、彼らの行動をみているとなかなか面白いし、かわいくもある。近付いてきて、ごていねいに私を覗き込むようにするのがいたのには驚かされた。まるで人間そっくりの仕草である。

 そんな風に見物しているうちに、ペンギンというのは団体行動の鳥だということが分かってきた。どれか1羽が歩きだすと、何羽かが必ず後にくっついていき、1羽だけになることはめったにない。海中ではアザラシやシャチに襲われ、陸上では卵や雛が大型のカモメの餌食になり、それに対するなんらの対抗手段も持ちあわせていなさそうなペンギンが生き延びてゆく秘密は、どうやらこの習性にありそうである。
 などと真面目なことを考えていたら、変な気がしてきた。極地などでは単独行動は禁物である。私たち日本チームは、その鉄則を当然のこととして守ったのだが、それとこれとがなんとなく似ているように思えてきたのだ。
 そういえば、その後何年か経って、ニュージーランドの仲間に会ったとき、山の上から見ていたら君らはいつも連れ立って湖の上を歩いていたなあ、とちょっと面白そうな顔をした。



アデリーペンギンの営巣地(撮影1972年2月,ロイズ岬にて)
画面左上にオオトウゾクカモメ,ペンギンの卵や雛を狙っている.
画面の向こうはマクマード入江


アデリーペンギンの巣(撮影1972年2月,ロイズ岬にて)
白いのはペンギンの糞


連れだって海に降りていくアデリーペンギン
(撮影1972年2月,ロイズ岬にて)


飛翔するオオトウゾクカモメ(撮影1972年2月,ロイズ岬にて)
両翼を拡げると1メートルを超える.

  - 1989年11月 -



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