2023.2.26
No.82「肘掛け」
30年も昔、学生のころの帰省旅行は、もっぱら夜行の急行列車を使うしかなかった。それも、二等の座席車両である。寝台や特急に乗るなんて、ぜいたくなことだったのだ。盆暮れには、下手をすると、その最低の座席さえ確保できなかった。私の立ちっぱなしの記録は、京都から帰省先の長崎の手前の諫早までである。たぶん12時間を超えていた。
運よく座れたららくだったかというと、背もたれが直角の硬い座席に長時間座り続けるのはかなりしんどくて、当たり前だと言い切れないところがあった。そんな風だったのが、今や背もたれの角度は自由に調整できるし、実に快適である。おまけに、1人ひとりの座席を区切る肘掛けまで付いている。
ところが、この境界の肘掛けの使い方が意外にむずかしい。幅は1人分しかないのが普通だから、互いに手を延ばすと、ぶっつからざるを得ない。結局、双方あるいはどちらかが遠慮することになって、丸く納まっているのだが、肘掛けを占拠するのは、体の大きさや見た目の迫力などとは必ずしも関係がなさそうなのが面白い。
先だって飛行機で、学生風のほっそりとした女性と隣り合わせになった。ゆうゆうと両の肘掛けに手をもたせて、臆する気配などまったくない。これが新人類とかいうものかとあきれつつも、あまり見事にくつろがれると、周囲に気兼ねするよりは健康的なようにもみえて、少々うらやましい気がしたことも事実である。
ー1993.1 大分合同新聞 別府版ー
★温泉マイスターnoteにも掲載しています
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