2023.8.26
No.88「43年ぶりの風景」
母の初盆で、長崎に行った。ついでに、決心して、長崎から南西に突き出している長崎半島の突端の野母崎にも行った。小学校の3年から5年まで、ここで過ごしたのだ。それ以来だから、実に43ぶりである。
※野母崎総合運動公園(水仙公園)
でこぼこだらけの細かった道は、もちろん拡幅され、きれいに舗装され、公共の施設らしい建物などもそこここにあって、記憶をよみがえらせるのがむずかしいほどだ。右手海中の、軍艦島の呼び名で名高い、炭鉱の端島だけが昔のままのように思える。しかし、実際には、盛んだった石炭掘りはとっくに無くなって、廃墟の無人島になってしまっているのである。
※端島(軍艦島)
それでも半島の突端に近づくと、たしか4年生のときスケッチ大会で描いて賞をもらった分かれ道と、その向こうに続く砂浜と小高い山の姿があった。とはいえ、その砂浜の大部分は消波ブロックで埋められていたし、山の斜面もまたコンクリートで固められていた。
車を降りると、漁村特有の迷路のように入り組んだ細い路地を抜けて、なんのためらいもなく、自然に小学校や港の方に足が向かったのは、不思議である。
小学校は新しくなって、昔の面影はない。よそよそしく見える正門の側には、お盆の祭りのためのテントが作られ、寄付をした人の名前が表にしてある。その中に同級生の名前を見つけて、港で泳いだことなどのなつかしい記憶がいっぺんによみがえってきた。(1995.9.9)
ー1994.12 大分合同新聞 別府版ー
★温泉マイスターnoteにも掲載しています
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