2022.3.26
第50回いわき湯本温泉(福島県いわき市)
温泉マイスター 高橋秀明・高橋潤子(広島市在住)
豊かな湯の恵みをフラとともに未来へ
久しぶりに入ってみて、「こんなに素晴らしい湯だったのか」と再認識させられることがあります。福島県東南に位置し、小名浜漁港など海も近い「いわき湯本温泉」。奈良時代の開湯といわれ、日本三古泉にも数えられるほか、炭鉱の町から温泉観光の町へと大きく変貌を遂げた歴史は、映画「フラガール」(2006年公開)の舞台として知られています。弱アルカリ性の硫黄泉はモール(化石)系の特徴も見られ、戦後には川沿いに野天風呂が存在したユニークなエピソードも。珍しい「馬の温泉」施設があるほか、「温泉保養士」育成による健康づくりへの取り組みなど、豊かな温泉資源を生かした町づくりが進められています。
旅館やホテル・共同湯で多彩な湯巡り
別府とはオンパク開催地仲間でもあり、2011-12年版の別府八湯温泉本に復興支援として特別編に加えられ、宿泊や立ち寄り施設9か所に温泉道スタンプが設置されたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。東日本大震災では温泉供給が一時的に止まったほか、その後の誘客にも大きな影響が出ました。当時、旅館などでは被災者への送迎・無料入浴サービスが行われ、「がんぱっぺ!いわき」を合言葉に、温泉地ならではの支援の輪が広がりました。
「タンクに貯めるか直で注ぐかで、湯の花の量や湯の色も湯船で違うんですよ」。1695年創業の老舗旅館「古滝屋」当主の里見喜生さんが湯巡りの楽しみ方を教えてくれました。JR常磐線湯本駅前から広がる温泉街には現在、ホテル・旅館が20施設(旅館協同組合)あり、10施設で日帰り入浴ができます。
「いい温泉地には、地元の人たちに愛されるいい共同浴場がある」。湯本駅から徒歩15分の住宅街の中にある「上の湯」は、ガイドブックにもあまり出ていません。夕方からのオープンで、料金は大人200円。2階に集会所があるのは別府の共同浴場と似ています。4人も入ればいっぱいの湯船には湯の花がホワホワ舞う熱めの湯が満ち、「いつもはもっともっと(熱い)よ」など町の人たちの笑い声が響きます。
いわき湯本温泉の町並み(古滝屋から)
いわき湯本温泉が温泉道に登場(別府八湯温泉本2011―12年版)
地元の人たちに愛される共同湯「上の湯」(外観)
上の湯のこぢんまりとした浴室(女湯)
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ユニークな硫黄泉は湯量も豊富
泉質は、含硫黄-ナトリウム-塩化物・硫酸塩泉。「美人の湯」や「あたたまりの湯」など複数の特徴を持つ、白濁系とは違ったタイプの硫黄泉です。古滝屋の玄関横にある「湧出地跡」碑に流れる湯にはたまご臭が感じられた一方、大浴場ではツルッとした感触とともに湯はうっすら褐色がかり、柔らかなモール臭も感じられました。
一般入浴施設としては、江戸時代の建築様式を再現した純和風建築の「さはこの湯公衆浴場」のほか、2007年に建てられた「湯本駅前みゆきの湯」が代表的で、イベント広場を備えた足湯も駅前などにあり、温泉が気軽にあちこちで体感できます。湯町のシンボル「温泉神社」も高台に立ち、温泉が流れる句碑には湯の花がこびりつき、湯気が立ち上ります。
現在の源泉は、1976年に市などが設立した温泉供給会社が揚湯と配湯を一手に担っています。温度は約59度で毎分5トンの湯量を誇り、駅の近くに送湯ポンプ場がそびえます。かつての常磐炭田の坑底(地下約800メートル)をボーリングし、その坑道を利用して地下約160メートルの貯湯槽まで湯を引き揚げ、さらにそこから地上タンクにポンプアップ。この地域は、石炭層や花こう岩の基盤岩からなる特殊な地下構造を持ち、非火山性の化石海水型温泉である点も注目です。
「スパリゾートハワイアンズ」をはじめとしたホテルや旅館・共同湯・事業所に配湯され、総延長は約14キロ。山側にはJRA(日本中央競馬会)の競走馬リハビリテーションセンターがあります。一般家庭でも契約でき(2016年に201件)、温泉スタンドも設置されるなど温泉が幅広く活用されています。
うっすら褐色を帯びた湯(古滝屋の部屋風呂)
温泉神社入口に立つ句碑には湯が上から流れる
競走馬リハビリテーションセンターの浴舎
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石炭採掘と温泉資源確保に揺れた近代
江戸時代以降には「温泉は人家の間に約50数箇所以上、自然湧出しており、郷人はいにしえより『三函(さはこ)』の湯として伝えており、味は塩辛く、硫化水素の臭気があった」との記述が確認されています(「常磐湯本温泉の来歴」同温泉株式会社ホームページから)。化石海水型温泉の自噴は珍しいといわれます。ただ、宿場町として栄えたこの地域も温泉が安定的に利用できるようになるまでには、石炭開発と温泉資源の確保に大きく揺れた歴史がありました。
明治近代化の到来とともに石炭採掘が進むと、同じ地下資源である温泉と交錯し、坑道からの出水などで湧出の激減や温度低下を招きます。自噴はもちろん、大正に入ると温泉利用ができなくなる事態も。そのため、明治後期には温泉資源確保のための組織が結成され、源泉を炭鉱の排水(湯)に求める折衝や取り組みが幾度も続きます。
今の町並みからは想像できないエピソードもありました。戦後間もない昭和30年代、炭坑からの引湯が毎分10トンを超すこともあり、大量のその「排湯」が許可の下に川に流され、湯気を醸し、そこを露天風呂代わりに使ったり、川べりに木小屋の簡易風呂が作られたりなど、まるで野湯やジモ泉のような風景が記録されています。その後の炭鉱の衰退は、「日本にハワイを創る」というアイデアの元、大規模レジャー施設「常磐ハワイアンセンター」オープンへとつながります。現在の新源泉からの揚湯や配湯の仕組みが整ったのは、炭鉱閉山の1976(昭和51)年になります。
湯の町を記録した「いわき市常磐湯本財産区史(1913-2018)」
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「フラのまち」掲げ温泉資源を活用
「東京よりも雪が降る機会は少ない」と言われるほど温暖な気候のいわき湯本温泉。2011年3月、そこを東日本大震災が襲います。里見さんは、「火事で建物が焼けたり、炭鉱の乱掘で温泉が出なくなったりした時代もありましたが、今もここには温泉があります。復興支援やボランティア活動を通じて『人に喜んでもらう身の丈にあったサービス』をする中で、疲れた心と体を癒やしてもらうのが温泉旅館だと気付かされました」。
いわきフラオンパク実行委員長も務めた里見さんは、原発事故の被災地ツアーの案内役も務めます。2021年3月には「原子力災害考証館」を旅館内に設け、故郷や家族を失った人たちの記録のほか、当時の写真や新聞などを展示。湯町の未来へ「負の歴史」とも向き合い続けています。
里見さんらが活用しているご当地温泉資格が、2001年に創設された「温泉保養士」です。いわき市に協会があり、温泉の知識や活用法だけでなく、温泉療養を生かした健康づくりが具体的に学べる点に特徴があり、資格認定講座は今年5月で21回目になります。
復興と再生へ向けた新たなにぎわい創出へ、2015年に町は「フラのまち宣言」を行います。旅館やホテルの女将が温泉街でフラを踊るユニークな「フラ女将」活動もスタート。「フラのまちフェスティバル」開催や地元食材を使用した「フラ女将カレー」の開発など「フラのまち いわき湯本」をキャッチフレーズに据えています。
町には、中国出身で火薬を使ったアートで世界的に活躍している蔡國強さんゆかりの屋外ミュージアムもあります。「共存共栄」の道を探り続け、湯の恵みと人の温かさがあふれるいわき湯本に出かけてみませんか。
被災者の手記などが並ぶ原子力災害「考証館(古滝屋)」
小学生の絵が並ぶ屋外ミュージアム「いわき回廊美術館」
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<参考文献>
「温泉守って一世紀」
いわき市常磐湯本財産区史(一九一三-二〇一八)」(同財産区)
<ホームページ>
フラのまち いわき湯本温泉(いわき湯本旅館組合)
https://iwakiyumoto.or.jp/
常磐湯本温泉株式会社
http://www.jyonsen.com
一般社団法人 日本温泉保養士協会
http://www.onsen-hoyoushi.com/
<協力>
元禄彩雅宿 古滝屋
https://furutakiya.jp/
※新型コロナウイルス感染状況により施設の制限などが続いている場合があります。
写真およびコラージュはすべて筆者
*温泉マイスターnoteでも情報発信してます。
https://note.com/onsen_meister/n/nc7415815b4dd
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