2022.7.26
第55回別府市営温泉シリーズNo.1
「浜田温泉」
温泉マイスター 幸 準一郎
別府市営浜田温泉は古くは浜田鉱泉・内竈の湯と呼ばれて明治期から多くの人たちに愛されてきました。
旧浜田温泉(現浜田温泉資料館)の老朽化に伴い平成14年に向かい側に新たに鉄筋コンクリート和風造平屋建の温泉がオープン、車椅子での出入りができるよう通路を広くするなど高齢者にも利用しやすい施設になりました。
泉質は「ナトリウム−塩化物泉」で少々熱めですが、ヒートショックプロテインで免疫力アップが期待できそうです。
浜田温泉の歴史は古く、明治12年に古市村(現別府市亀川)の高橋増吉氏が畑の麦の生育が早いことを不思議に思い掘削したところ温泉が湧き出したとされています。
明治22年には地元の名士永田一郎氏により温泉施設が整備され年間6万人が訪れる賑わいを見せていたそうです。
大正9年には木造二階建の「御越町営:浜田温泉館」(大正14年亀川町と改称)として改築され一階は男女浴室と砂湯、二階が料亭でした。
「浜田温泉館」は管理運営が民間委託され浜田百合治氏(前別府市長浜田博氏の父)が昭和9年まで請負、指定管理者制度の先駆けとなりました。
昭和10年(1934)別府市と亀川町、石垣村、朝日村が合併し大別府市が誕生、これを記念して浜田温泉 の改築が行われました。
この建物の設計にあたったのが浜脇高等温泉を別府市役所の技師、池田三比古氏で、破風の上に千鳥破風を乗せた重厚な宮造りで亀川のシンボルになりました。
地下に男女別の浴室と蒸し湯が設置され、二階が集会所となっていました。
旧浜田温泉は唐破風の玄関の上に千鳥破風をのせた重厚な宮造りの和風木造温泉建物として愛されてきましたが、老朽化のために取り壊しが検討されました。
これに計画に対して岸川多恵子さん、伊藤秀美さん、故高橋鴿子さん、故水口民子さんの4人が取り壊し計画反対の旗頭となり平成12年(2001)に「浜田温泉館を温泉文化遺産として使って守る会」(旧・同館修復保存の会)」を結成。泉都の木造温泉建築の意義を伝え、署名活動や市への請願、ナショナルトラスト運動の啓発など積極的に活動した。2万人超の署名を集めたものの「修復して温泉として再利用を」という願いは届かず、同温泉は平成15年に解体されました。
別府市民の熱い思いを知った元小学校教師の森田ミサ子さん(75歳)が、建物復元費用として6,500万円を寄付「浜田温泉資料館」としてよみがえり別府の温泉文化遺産として次世代に継承されることになりました。
海浜砂湯といえば上人ヶ浜にある「別府海浜砂湯」(昭和61年開業)が有名ですが、亀川では江戸時代末の寛政7年(1795)に儒学者の脇蘭室が『函海漁談』に、「古市(亀川)と云には、潮退たる時汀沙(渚の砂)より煙立つ。ここを穿てば温泉湧 出、人々自ら沙を左右に推て石菖を敷き、石を枕にして臥すに、其身を藏すほどに温泉湛ふ。熱すればしばらく避て、又浴するに媛適なり。冷なれば浴しながら沙を採れば、底より熱気加りて意の如く媛適なり。」と海岸で砂湯を利用していたことを紹介しています。
昭和5年(1930)別大電鉄㈱(現大分交通㈱)が亀川町から温泉湧出地449㎡を借り受け「亀川天然砂湯」の経営を始めました。 戦後の昭和30年代になって台風のため大きな被害をうけ、さらに昭和36年に護岸工事が施されたため経営が困難となり、昭和43年頃に亀川の旅館組合が経営を継承しましたが海岸埋め立ての工事や、亀川バイパス工事の進展などで砂湯としての性格を失なってきたため休止しました。
「浜田温泉」に行かれたときはお向かいにある「浜田温泉資料館」(無料)にもお立ち寄り下さい。
*温泉マイスターnoteでも情報発信してます。
https://note.com/onsen_meister/n/n5a840c308012
※これまでの「温泉マイスターおすすめの温泉」は下記のURlをご覧下さい。
https://note.com/onsen_meister/m/m4bd80cee2914
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