第69回京町温泉郷~吉田温泉(夢温泉)
e-温泉マイスター 石塚佳史
「矢岳高原の麓、宮崎県で最も古い温泉郷えびの吉田温泉エリアにある癒しの温泉」
吉田温泉は、矢岳高原の麓にある宮崎県で最も古い温泉です。えびのの奥座敷、京町温泉郷より北に三キロ、鹿の湯ともよばれ、地元や湯治客に親しまれてきました。ひなびた風情があり、隠れた名湯として多くの地元客や観光客に愛されています。
一方、京町温泉(きょうまちおんせん)は、宮崎県えびの市(旧国日向国)にある県を代表する温泉で京町温泉郷とも呼ばれています。
規模は、温泉資源の乏しい宮崎県では随一と言えますが、昔ながらの住宅街に紛れて小中規模の旅館が軒を並べるひっそりとした雰囲気です。周囲を霧島連山に抱かれるなど景観に優れ、歓楽色は一切なく、保養向け。えびの高原、霧島方面の観光中継地としても利用されています。地元の田の神「タノカンサァ」の石像がシンボルです。
京町温泉駅周辺には、当温泉唯一の商店街である「京町銀天街」があります。普段は閑散としていますが、毎年2月に行われる「京町二日市」の時にはかなりの賑わいを見せます。この市は、京町温泉開発とともに90年の伝統を持つもので、南九州随一のマンモス市としても有名です。
また毎年7月の第3土曜日には、「京町温泉夏祭り」の名で花火大会が行われていいます。このイベントは川内川の河川敷で行われ、京町の温泉街から約8000発の花火が上がる景観や加久藤盆地に響き渡る大音響を楽しむことが出来ます。宮崎県はもとより、隣接する熊本県や鹿児島県からも多くの観光客が来るため、多くの人出で賑わいます。
吉田温泉の歴史
天文二十三年(一五五四年)、霧島山が噴火を起こし、真幸一帯に地震が起きました。その地震で山崩れや土地が陥没するなどの地形変動が起きました。その時、昌明寺地区の岩間から湯がわき出しました。ある時、近くの住民がこの温泉で傷を癒しているシカを発見しました。これを見た住民は、傷を癒す温泉として、そこで療養するようになりました。また、住民は、この温泉をシカが傷を癒していたことから「鹿の湯」と名付けました。
当時の領主だった島津義弘は、「鹿の湯」が万病に効くと聞きつけると、湯治施設を造らせ、愛浴するようになりました。木崎原の戦いでは、負傷した兵の傷を癒すためにも使いました。天正五年(一五七七年)、義弘は、戦で負傷した兵士達を救った温泉として、湯屋を改築し、湯権現社を建立しました。また、温泉の管理規則を定め、温泉の近くに郷士を湯守役として住まわせました。湯権現社は、現在でも「鹿の湯」の近くにあります。 薩摩藩時代、「鹿の湯」のあった場所は、「吉田ん湯」と呼ばれていました。「吉田ん湯」は、廃藩置県のあと、温泉の運営が藩営から民営に移行したのと同時に、名前も「吉田温泉」に改められました。
また、西郷隆盛が訪れた記録のある温泉のひとつです。明治2年、函館で続いていた戊辰戦争の状況確認に赴いた西郷ですが、西郷が到着したときにはすでに終結しており、そこから引き返しこの吉田温泉に入浴していることが分かっています。
泉質の特徴
「ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物温泉」源泉かけ流し100%で利用できる美肌&殺菌効果&鎮痛作用のあるメタホウ酸117.9㎎/㎏メタケイ酸60.9㎎/㎏濃厚療養泉です。
神経痛や皮膚病に効くそうで、手術後にこちらの温泉に入ると治りが早いと評判です。お湯はシュワッとした炭酸が含まれていて、口に含むと鉄っぽい味がします。炭酸ガスがもっとも溶け込みやすい温度と言われている37度前後のぬる目のお湯は夏には本当に気持ちがよくて、ゆっくり長く浸かっていたいと心から思わせてくれます。
金気臭のある湯で口に含むと炭酸系の独特の味わい。肌に吸い付く炭酸は泉温ぬる目でじっくり浸かれば湯上りはポカポカ。肌もさっぱりとして浴後の満足感はかなり高いです。「確かにこれは傷に良さそうな湯である。」と妙に納得しちゃいます。
写真入りの記事は下記のURLをご覧下さい。
https://note.com/onsen_meister/n/n319124ddb370
※これまでの「温泉マイスターおすすめの温泉」は下記のURlをご覧下さい。
https://note.com/onsen_meister/m/m4bd80cee2914
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