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HOMEフィールド博物館温泉マイスター・ハイキングレポート>2017.06.10「地獄ハイキング 実相寺山・鉄輪コース・レポート」甲斐心也

温泉マイスター・ハイキングレポート

地獄ハイキング 実相寺山・鉄輪コース・レポート 

シニア・マイスター 甲斐 心也

 別府温泉地球博物館主催の地獄ハイキングは、平成29年6月10日(土)、温泉マイスター限定で実相寺山・鉄輪コースでの開催でした。



 梅雨の晴れ間の好天に恵まれ、実相寺山平和記念搭入口バス停に13:30に集合し、京都大学地球熱学研究施設の竹村教授、本日ガイドデビューの若松君子さん、参加者5名と事務局の杉本さんの総勢8名で出発進行!! 

 明豊高校野球部の練習グランドを横目に見ながら標高169mの実相寺山の頂上を目指しますが、いきなりの上り坂に息が切れます。林の中の道路を抜けると、日本山妙法寺の本堂と仏舎利塔が見えてきました。


「仏舎利」とは、本来、釈迦の遺骨・遺灰・毛髪等ですが、大変に貴重なもので入手も困難な事から、遺骨によく似た宝石や貴石等を代替品とする事が多い様です。また、日本各地の寺院の五重塔や三重塔、金閣寺の舎利殿なども仏舎利塔に当たります。

 ここからの眺めは雄大で、一番奥に鶴見岳・内山・伽藍岳の峰々が連なり、その手前には大平山(通称 扇山)のなだらかな稜線に続く別府扇状地が広がり、南には堀田・朝見川断層崖の連なりが見渡せました。


 実相寺山は約30万年前の噴火で形成されたドーム型火山の跡で、大観山や高崎山と同時代の古い時代の火山です。
 また、大友家と黒田家が争った石垣原合戦においては、黒田軍の 本陣が置かれた事でも知られています。ちなみに大友軍の本陣は南立石の海雲寺あたりに置かれました。
 大平山は地震による山体崩壊の跡と考えられ、人の手により毎年、山焼きが行われてきたため、今の様な姿になっているとの説明がありました。  


 山を下り、実相寺山の山裾を鉄輪方面に進むと、噴火当時の溶岩が冷え固まった角閃石安山岩の露頭が見られます(上写真)。
 この先に温泉の噴気が見られます。この辺りの源泉は噴気沸騰泉で、ここで見られるような「気液分離装置(セパレーター)」によって熱水だけを取り出し、温泉として各戸に配湯されています。
 別府市の鉄輪・明礬・北中に広がる「湯けむり・温泉地景観」は国の重要文化的景観に選定されていますが、これは「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの(文化財保護法第二条第1項第五号より)」と規定され、天然記念物のような人の手の入っていない文化財とは違い、温泉資源の多面的な利用の在り方を示す文化財といえます。  


 ここから馬場、新別府の住宅街を進み、春木川河畔に出ました。「新別府」は大正3年から昭和初期に温泉付き高級別荘地として一区画300坪で分譲されました。
  「別府の地獄を観光資源として最初に活用したのは鉄道技師の千寿吉彦氏で、明治末期に日豊本線の敷設工事で来別していた。「千寿はこのような扱いを受けていた海地獄を別荘地の泉源という全く新しい発想によって買収したのである。恐らく新たな湯口を掘削するよりは経済的にも有利であったと考えられるし、この頃には既に規制の網も掛かり始めていたことも背景にあったであろう。(中略)明治43年(1910)海地獄を覗き見していた湯治客に対して、海地獄の管理人が二銭を徴収したことが始まりとされる。つまり、これまでの「厄介もの」が「見せ物」に転換したのである。」(別府市編 「文化的景観 別府の湯けむり景観保存計画」より)


 春木川を渡り、北中の噴気沸騰泉の源泉を見て、鉄輪の旅館街に入ります。NHKの「ブラタモリ」で紹介された市営「熱の湯温泉」裏の断層崖を見て、旧富士屋旅館前の「別府石」の石畳を見学しました。
  「かつて別府のいたるところには、鶴見岳をはじめとする火山から、火砕流や土石流として、流れ出してきた安山岩がころがっていました。現在も、道路工事や宅地造成などで土地を掘り返すと、安山岩の転石がたくさん出てきます。人びとは、それらを別府石と呼んで大事にし、いろいろな石材に使ってきました。」(別府地球博物館編「別府温泉辞典」より)

  

 次に鉄輪温泉を拓いたと言われる一遍上人開山の温泉山永福寺と境内の源泉を見て、ゴールの大谷公園に到着しました。

 大谷公園は浄土真宗大谷派の22世法主の大谷光瑞(鏡如上人)示寂の地です。光瑞は明治35年から三度に渡り西域探検隊を結成し、シルクロードの仏跡の発掘調査を行いました。弱冠39歳で法主を辞任しますが、実は西域探検には多額の費用がかかり、これが西本願寺の財政を危機に陥れ、その責任を問われ罷免されたのが真相のようです。また、インドの古代仏教建築を思わせる石造風の外観の東京・築地本願寺は、光瑞が建築史家の伊藤忠太に設計を依頼し、建築したものです。戦後、病を得て別府で療養し、昭和23年に鉄輪のこの地で亡くなりました。


今回は最初の実相寺山の登りを除いては、ほぼなだらかな下りの全長4,000mほどのコースでした。岩石に詳しい若松さんの案内で、楽しく歩き切る事が出来ました。参加者の皆さん、お疲れ様でした。



 

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