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地獄ハイキング 浜脇コース・レポートシニア・マイスター 甲斐 心也
別府温泉地球博物館主催の地獄ハイキング2017年度後半の第一回は、平成29年10月7日(土)、温泉マイスター限定で浜脇コースでの開催でした。 天気予報に反してうっすらと霞のかかったような空模様の下、東別府駅前に13:30に集合し、京都大学地球熱学研究施設の竹村教授、北九州市から参加の明石ご夫妻をはじめ参加者6名と事務局の杉本さんの総勢8名で出発です!! 東別府駅は1911(明治44)年、豊州鉄道の浜脇停車場として開業し、1934(昭和9)年に東別府駅に改称されました。この頃の浜脇温泉は湯量が減少し、かつての賑わいは無くなっていたようで、当時の今日新聞の記事によれば、「浜脇駅の東別府駅改称問題は再三浜脇町民より叫ばれ之が実現方を主務省に陳情しつゝあり、市会にも即刻実現を図るべく議決され(中略)愈々十五日より『東別府駅』と改称することになった。」とあります。そのため趣ある木造駅舎が残され、市指定登録有形文化財になっています。近年では、新垣結衣・三浦春馬主演の映画「恋空」のロケ地になった事で話題になりました。 市営浜脇温泉に向かう途中の住宅街の一角に「丸井戸」があります。井戸を見守るお大師様に「弘化4年(1847年)」と刻まれており、古くから地域住民に利用されてきた井戸です。中を覗いてみると、地下4~5mほどの深さの所に水があり、この辺りが海抜3.4mなので、ほぼ海面と同じ高さで真水が湧き出していることになります。 少し歩いて浜脇温泉前の広場に到着しました。入口近くの石造りのアーチは、建て替え前の浜脇温泉の玄関で、床のタイルで当時の浴槽の位置や大きさが偲べるようになっています。ちなみに浜脇高等温泉は湯治客向けであったためぬるめの湯で、浜脇温泉は地元民向けに熱めになっていたそうです。 朝見川の河口付近にやってきました。干潮の時間帯で水位が低い状態でした。この辺りでは干満差が2~3mあり、もし津波が押し寄せた際、干潮時と満潮時でその影響に大きな差がある事を改めて学びました。 浜脇中学校は立派に石垣と石段の上に立っていますが、中世にはここに「大友館」が置かれていたと言われています。 急坂を登って山家地区の崖にたどり着きました。この崖は由布川火砕流によって出来た崖で、約60万年前の火山活動でできました。軽石やガラス質の雲母の混じった堆積物で出来ており、触ってみるとザラザラとした壊れやすい岩でした。 浜脇中学校まで戻り、ここから東に向かうと河内川沿いに河内集落があり、その先に浜脇の市街地を見下ろすビューポイントがあります。道中、あちこちで急傾斜地危険地域の注意書きが掲示されており、いかにも山崩れや地滑りが起きやすい場所である事が感じられます。 河内集落まで戻り、急な小道を下ると、別府八景(日出城下海岸、由布仙境、観海寺乙原高台、鶴見ケ丘、高崎山、実相寺山、別府東公園、柴石渓流。三勝は志高湖、内山渓谷、仏崎遊園。)に比喩された「河内渓谷」の入り口があります。渓流沿いの細い道を進み、狭い橋を渡った先に、稚拙でちょっとユーモラスなお不動様が奉ってあるお堂がありました。さらに進み急な崖を下ると、高さ10m程の二丈の滝が現れました。前日の強雨で水量が増しており、なかなか迫力のある滝ですが、普段はこれほどの水量はないそうです。滝壺のすぐ上に白い岩の層が見られますが、由布川火砕流より更に古い時代の浜脇層の堆積物で、縞模様がハッキリと見えました。この層からは別府では珍しい植物の化石が見つかる事があるそうです。 ここから河内川沿いを下り、元の東別府駅までもうひと頑張りです。駅前広場でお互いの健闘を讃えて、解散となりました。これまで参加したハイキングコースの中で、最も距離が短いコースでしたが、かなりのアップダウンがあり、変化に富んだ楽しいコースでした。参加者の皆さんお疲れ様でした。 |