別府温泉地球博物館の「温泉アカデミックアドバイザー」として、博物館を支えてくださった川野田實夫(かわの・たみお)さんが、2023年1月9日午後0時50分に逝去されました。享年78歳。10年ほど前から肝細胞癌を患い、入退院を繰り返しながら、化学療法や数回に及ぶ外科手術などの治療を続けて来られたのですが、空しい結果となりました。心から哀悼の意を捧げます。
川野さんは1944年5月28日に豊後大野市三重町で生を受け、1967年大分大学教育学部を卒業、1969年以降は同大学の助手・講師・助教授を経て、1989年1月大分大学教授に就任され、地球化学・環境化学を専門として、物質の循環と分布を主体とした自然環境に関わる研究と教育に尽力し、定年退職後の2010年からは同大学名誉教授を務めてこられました。
そうした研究・教育の一環として、大分県における温泉の調査研究にも力を尽くし、日本温泉科学会や大分県温泉調査研究会の会員・役員として活動を続けられました。また、水問題など地域の環境保全についても、自治体や各種団体において指導的役割を果たしてこられました。さらに、1983-84年には南極ドライバレー地域において、1991年と1992年には中国甘粛省の乾燥地域において水環境に関わる調査を行い、見聞を広められました。こうした事跡をたどってみますと、川野さんの内に秘めたものの多様性・大きさを改めて認識させられます。
私(由佐悠紀)が川野さんと出会ったのは、1966年11月です。この年の5月、別府市に開設されている京都大学理学部附属地球物理学研究施設(現、大学院理学研究科附属地球熱学研究施設)の助手として着任したばかりでしたが、照波園地区で温泉観測をすることになり、大分大学4年生だった川野さんがアルバイトの観測員として参加されたのです。川野さんは22歳、私は25歳でした。私にとって初めての温泉調査でした。作業は湧出量と泉温の変動を一昼夜連続観測するというものでしたが、当時のことですから全てが手作業で、交代で仮眠をとりながら続けたことを思い出します。
それから3年後、川野さんは大分大学の助手に任用され、志賀史光先生(後に大分大学学長)の下で、大分県の水・温泉の調査研究に取り組むことになりました。初期の調査研究は、九重地域の温泉を対象として、前後十数年にわたって行われましたが、これによって九重地域の温泉の地球化学的実態が明らかになったのでした。
私が川野さんと一緒に行った最初の調査研究は、山下幸三郎先生に主導されて1970年頃から数年かけて行った、天ケ瀬温泉の温泉水系の解明です。二人とも車が無かったので、機材を持って久大線で通ったり、現地に泊まり込んだりしたものです。その後も、国東半島など大分県北部の温泉調査を共同して行ったりしました。また、これら以外にも、温泉の化学分析をお願いしたこともありました。
後年、環境問題に関わるいくつかの委員会で、川野さんと同席することがありました。委員会では忌憚の無い意見が求められますが、川野さんの発言は常に飾り気がなく率直で、他の出席者の発言を引き出す力があったという印象があります。私が会長を務めている大分県温泉調査研究会では、川野さんに副会長として陰に陽に支えていただいてきましたが、それが叶わなくなり、残念でなりません。
川野さんのご逝去を悼み、ご冥福を祈りつつ、勝手ながら、今後の温泉の行方・別府温泉地球博物館の行方を見守ってくださるようお願いします。
由佐悠紀(別府温泉地球博物館理事長)
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川野 田實夫 Tamio Kawano
昭和42年3月 大分大学教育学部卒業
大分大学助手(教育学部)講師、助教授を経て
昭和64年1月 大分大学教授(教育学部)
大分大学名誉教授
一般財団法人九州環境管理協会副理事長
(一財)九州環境管理協会顧問
NPO法人おおいた水フォーラム理事
などを歴任
地球化学、環境化学。海洋観測、南極観測、乾燥地帯・砂漠など海外も含めたフィールド調査を通して物質の循環と分布を主体とした自然環境に関わる研究。
2023年1月9日逝去(享年78歳) |