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HOMEフィールド博物館温泉マイスター・ハイキングレポート>2018.11.24「地獄ハイキング 明礬~小倉~照湯コース・ガイドレポート」甲斐心也

温泉マイスター・ハイキングレポート

地獄ハイキング 「明礬~小倉~照湯コース」
♨明礬温泉地熱地帯とアボイド・エリアの温泉発電所を歩く♨ ガイドレポート

シニア・マイスター 甲斐 心也

 NPO法人別府温泉地球博物館主催の地獄ハイキング2018年度の秋の第4回は、平成30年11月24日(土)、「明礬~小倉~照湯コース」での開催でした。このコースは京大地球熱学研究施設提供の「明礬1」と「明礬2」を合体させ、小倉地区の温泉発電所を加えたオリジナルコースで、不肖私がガイドを努めることになりました。

 朝方はかなりの冷え込みで心配されましたが、午後には雲一つない好天となり、スタート地点の明礬湯の里には海外からの観光客も数多く見うけられました。



ガイド表紙
  

スタート 湯の里

  13:30にスタート地点の「明礬湯の里」に集合した参加者は、ご夫婦で参加のYさん、福岡県からわざわざ参加くださったAさん、Kさんはじめ10人と、事務局のIさん、ガイドの私の総勢12人です。いつもご指導頂いている京大名誉教授の竹村先生は、ご都合がつかず欠席されましたので、ガイド役としては少しだけ不安な思いを抱えての出発です。

 まずは湯の里の「湯の花小屋」を見学しました。明礬温泉の湯の花製造技術は国の重要無形民俗文化財に指定された独特なもので、文化庁のHPによれば「作業は、湯の花小屋づくりと小屋の内部で湯の花を結晶化させる作業に大きく分けられる。湯の花小屋は、噴気を通した小屋(こや)床(どこ)のうえに藁や茅で屋根を葺いたもので、内部は噴気が一定の強さでまんべんなく噴き出し、温湿度を一定に保ちやすい構造になっている。その小屋床に青粘土を敷き固め、噴気の強さを調節して内部の温湿度を一定に保つことで、湯の花の結晶を作り出す。  このように本件は、温泉の沈殿物などを採取するのではなく、湯の花小屋という特殊な製造施設をつくり、内部で噴気と青粘土を巧みに利用して湯の花の結晶を作り出すという全国でも類を見ない貴重な民俗技術である。」と説明されています。




湯ノ花小屋
  

湯ノ花

 強調しておきたいのは、明礬温泉の湯の花は水溶性が高い点です。全国各地の温泉地でみられる湯の花は、温泉の沈殿物を採取したもので湯に溶けにくいのですが、明礬温泉湯の花は製造過程で降雨に溶け出すのを防ぐために、藁屋根をかけなければならない程に水に溶けやすいのです。

 湯の花小屋の奥、大露天風呂の崖下に「温泉池」があります。これは別名「七色地獄」と呼ばれるそうで、気温などの変化により透明な青、白濁、青白濁と色を変えることから付けられた名前だろうと思われます。



湯の里の池
  

坊ちゃん地獄

 さらに奥には「坊ちゃん地獄」があり、案内板には「活断層を傳って噴出する噴気で長い年月に醸成された鉱泥は美容と健康に効能があります。」と書かれていました。  明礬湯の里の露天風呂はPH2.3の酸性硫黄泉ですが、豊前屋はPH5.1、ハートピア明礬はPH6.4、豊山荘はPH9.0と、標高が下がるにつれ酸性度が低くなっています。  湯の里露天風呂の源泉は、崖下に昔から湯の花小屋を建てていた場所があって、そこで自然湧出しておているものを、ポンプアップして使っているそうで、裏の山中で湧き出しているのではないようです。



 明礬湯の里の入り口から明礬集落の狭い路地を進みます。明礬集落は狭く急な傾斜地に旅館や観光施設、湯の花小屋が密集しています。この傾斜地から湯の花製造に欠かせない青粘土が採れますが、不安定な地盤であるため、崖崩れ・土砂崩れ・土石流などの自然災害もたびたび起こっています。



明礬集落の小道
  

明礬大橋と高崎山

 左手に別府明礬橋と別府湾、その先の高崎山が見えます。橋の施工を担当した鹿島建設のHPによれば、「眼下に別府八湯の一つ明礬温泉を見下ろし,別府湾を遠望する景勝の地に建設されたコンクリートアーチ橋である。架橋地点周辺が温泉地帯のため,温泉脈の保護とともに,温泉成分の影響によるコンクリートの腐食を防ぐ必要があった。一方で観光地の景観や経済性なども考慮しなければならない。  その結果選ばれたのが,大スパンを可能とするRC固定アーチ橋の構造形式だった。有効幅員9.0m×2,橋長411m。アーチスパン235mは当時東洋一の規模を誇った。  コンクリートの大敵,強酸性による腐食対策をいかに講じるか。その課題を解決するため,着工に先立って様々なコンクリート・テストピースの暴露試験を行った。そのデータに基づいて,コンクリートの厚さを増すとともに,基礎橋台部のコンクリートには,エポキシモルタルによるライニングが施された。この基礎橋台部のコンクリート量は4万m3を超える大規模なもので,打設にはコンクリート硬化時の発熱を抑えるために砕氷が混入された。 」とあります。

 さらに進むと市営温泉の地蔵泉に着きました。湯温の低下などにより閉鎖されていますが、湯抜きの煙突からはさかんに湯けむりが出ていました。明礬温泉は硫黄泉と酸性泉で知られていますが、市営温泉は硫黄泉のここが閉鎖され、酸性泉の鶴寿泉があるだけの片肺状態が長く続いているのが残念です。



地蔵泉
  

薬師寺石垣

 坂を下ると「明礬薬師寺の石垣」が見えてきました。ここの石垣は複雑な造りになっています。一番下は阿蘇凝結溶解岩の切石、その上は別府石の乱積みです。さらにその上はコンクリートブロックが積まれています。年代を経るとともに石垣を高くする必要があり、その都度材料が変わって来たのではないかと思われます。

 薬師寺の境内に「平田川の上流部」が流れています。平田川は明礬薬師寺のお滝などを源流として、明礬地区の南端を流れ下り、鉄輪の海地獄の下、おにやまホテルと黒田やの間、谷の湯とひょうたん温泉裏を通り、別府大学前で北に向かい、別府競輪場の北側で別府湾に注いでいます。江戸時代の明礬温泉は、北は天領で南が豊後森藩の飛び地でした。この領地を画していたのが平田川でした。



平田川上流部
  

薬師寺のお滝場

 川沿いを少し登ると「明礬薬師寺のお滝場」に出ます。落差4m程の滝で、古くは修行の場となっていたのではないかと思われます。周りのおびただしいお大師様は、かつては明礬や鍋山の山中に祀られ、「明礬八十八所」の霊場となっていましたが、今ではここに集められています。

 薬師寺の境内には共同浴場「とびの湯」がありました。泉質は無色透明の炭酸泉であったとの記録を目にしました。また、豊後森藩主久留島通嘉が作らせた『鶴見七湯廼記』に、「とびの尾の湯は明礬山に有、此ものを製作する地場と云畑の西なる岡にあり、凡明礬湯に同物也、この温泉はいささか硫気至て強く、湯井のあたり石間には、みな硫気凝付たり、礬湯よりも酸きかた強くして、聊も口中などには入れがたし、諸瘡を癒すことはまことに神のごとし」との記述もあります。

 お滝場から本堂に向かう途中の奥に「明礬薬師寺西方の地熱地帯」が見えてきました。今は立ち入り禁止になっていますので近づく事は出来ませんが、緩い傾斜に沿って地熱地帯が広がっています。最上部に自然湧出の硫黄泉が観察できます。かなりの高温で、湧出量も十分です。湯だめ桝や配湯パイプがありますので、下の民宿や民家に配湯されているようです。  参加者の皆さんはさすがに好奇心旺盛で、自己責任のもとの現地観察に余念がありません。



薬師寺地熱地帯
  

薬師寺西方地熱地帯

 大分自動車道の明礬大橋の下をくぐり、「さわやかハートピア明礬の遊歩道」に向かいます。明礬温泉の泉質と言えば、酸性泉や硫黄泉、緑礬泉や明礬泉が挙げられますが、ここの屋内大浴場は単純泉です。明礬は地表近くに地熱があり、十分な水と出会うことなく噴気として地表に出てきます。わずかな水に溶け込んで湧出するのが、先にあげた4つの泉質になります。



ハートピア熱泥口
  

ハートピア明礬

 地下の深いところには、塩化物泉や炭酸水素塩泉などの高温度の湯があると思われますが、ボーリングによる掘削が厳しく制限されているため、そのような泉質の湯はあまりありません。
 遊歩道には熱泥が噴出する所や、硫黄泉の溜まった池などが見られます。

 国道を渡った先の急坂を上ると、「鶴見やすらぎ霊園」の入り口近くに源泉があり、盛んに噴気を放出しています。この噴気の様子から、鉄輪温泉のようなナトリウムー塩化物泉ではないかと思いましたが、よく見ると硫黄泉のようです。ただし、噴気造成をここで行っているようです。
 その向こうの丘の上にはANAインターコンチネンタルホテルの建設現場を見ることができます。



やすらぎ霊園前の泉源

 小倉の集落を抜けて石畳の階段を下ると「照湯温泉」に着きました。ここはゴール地点ですが、皆さんお疲れの様子でしたので、小休止をとりながらここをガイドしました。



照湯
  

照湯

『鶴見七湯廻記』大分県立歴史博物館蔵
『鶴見七湯廻記』大分県立歴史博物館蔵

 天保年間に豊後森藩が照湯開発を行った経緯については、「別府温泉地球博物館」のHPの「お話の佃煮 江戸時代にあった地獄蒸し料理(三浦祥子著)」を引用します。  「鶴見山の麓の温泉地帯を持っていたのは森藩(久留島氏)でした。この地域の明礬温泉では染色や皮のなめしに欠かせない明礬が採れ、森藩の貴重な財源になっていました。実際の製造を行っていたのは脇屋儀助という庄屋で、幕府領の野田と森藩領の鶴見で明礬製造をし、両方に冥加金を納めていたわけです。ところが、一時は日本の70%を超えるシェアを持つ独占企業になっていた脇屋家(現在の明礬湯の里のオーナー)も天保の改革で一気に力を失います。天保の改革が独占権を奪ったからでした。  1841~43年に行われた天保の改革。独占権を失くした脇屋家は凋落し、明礬製造は幕府領のものも森藩の預かりになりました。  それまでも明礬の製造は藩の重要な財源でしたが、天領のものまでそっくり森藩の支配に!  それでうれしくなったから、というのは庶民の下司のカングリかもしれませんが、天保の改革と同じ1841年に森藩は『照湯(てるゆ)』という大型観光温泉施設を建設しはじめ、翌42年に完成させています。  茶屋や遊女街まで備えた、今で言えば観光温泉保養ランドの『照湯』が完成するとさっそく、殿さまがこのあたりの温泉地の魅力・珍しい行事などを記録し宣伝するため絵と文を家臣の江川吉貞、伊島重枝に命じます。そして3年後に完成したのが『鶴見七湯廼記』なわけなのです。」

 下流の祓川に架かる橋を渡り、住宅街の急坂を上り詰めた所に「温泉バイナリー発電所」が林立しています。



温泉発電所
  

バイナリー発電所

 昭和43(1968)年に、大分県は温泉資源保護のため、特別保護地域、保護地域を新たに指定するとともに、距離規制や動力による揚湯量の制限など、現在の礎となる規制内容が審議基準として制定されました。
 特別保護地域とは、原則として新規の掘削を認めない(代替掘削を除く)、「別府市南部特別保護地域」・「別府市亀川特別保護地域」・「別府市鉄輪特別保護地域」をいい、保護地域とは、源泉から100メートル以内と、噴気・沸騰泉から150メートル以内の新規掘削を禁止する(既存の源泉を掘り替える代替掘削は可能)、北浜や浜脇地区などを含む南部保護地域と、鉄輪地区などを含む北部保護地域をいいます。
 しかし、保護地域以外では規制がなく、平成30年に別府市は条例の制度強化に踏み切りました。「熱源の伽藍(がらん)岳と鶴見岳に近い明礬温泉の一帯や鉄輪温泉の一部地域などを、開発を避けるべき「アボイドエリア」に指定。掘削する場合は事業者に▽地熱資源調査▽モニタリング▽関係者らへの事前説明会―などを義務付け、市への報告を求める。」(2018/6/8大分合同新聞朝刊)としています。(※avoidとは避ける、回避するという意味です。)
 環境省の発表によれば、2016年12月現在、全国の地熱・温泉発電所で運転を開始しているのは43施設で、そのうち大分県内には17施設があります。別府市には11もの施設があり、そのほとんどが堀田地区と小倉地区なのです。


全国の地熱・温泉発電所一覧

https://www.env.go.jp/nature/onsen/council/chinetsukaisei/chinetsukaisei1/sanko5.pdf

 条例を作った別府市や温泉発電等対策審議会が「アボイドエリア」という言葉に込めた思いには奥深いものがあります。むやみに禁止するのではなく、自然科学的知見と地域への十分な説明のもとにおいてのみ許可を下し、それが不十分な場合は「当面は開発を回避する」というものなのです。

 今回のハイキングはこれで終了ですが、これから鉄輪温泉の地熱観光ラボ「縁間」に移動し、足湯に浸かりながらビールで乾杯です。温泉談義に花が咲き、楽しい時間が過ごせました。



極楽コース・地熱観光ラボ「縁間」
  

極楽コース・集合写真

 次回は来年の春になりますが、日程は別府温泉地球博物館のHPで告知します。次回もどうぞよろしくお願いします。

 

フィールド博物館

    別府八湯温泉コース
    (泉質の不思議コース)
    -準備中-
    地質・地形の醍醐味をさぐるコース
    -準備中-