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温泉とツーリムズ 人材育成部門 中山 昭則

2012年10月6日更新

第3回
「別府温泉の華々しいデビューとその特徴点(その2)」

 さて、前回は鉄道の開業によって温泉地が新しい観光地として発展していった様子を紹介しました。別府温泉尾もそうした背景はあったといえましょう。しかし、もう一点重要な要素があったといえましょう。
 大正時代にかけて発展した温泉地の多くは、湯量の問題で旅館には内湯が設けられていませんでした。この事は当時の案内所にも記されています。城崎温泉は内湯設置を申請した旅館に対して地域挙げて反対運動が起こり、結局内湯の設置が認められたのは何と昭和31年になってでした。
 一方、別府温泉は湯突き(上総掘り)が普及すると各地で温泉掘削ブームが起こり、大正時代には内湯を備えた旅館が数多く営業をしていたと言われています。また、この頃既に北浜では埋め立て事業も行われました。
 このように、別府温泉は内湯の設置でもめている他の温泉地を横目に、ふんだんな湯量を存分に活用してダイナミックに発展を遂げていたといえるでしょう。


参考文献

内務省衛生局編(1886年):『日本鉱泉誌』
内務省衛生局編(1923年):『全国温泉鉱泉ニ関スル調査』
関戸明子(2007年)『近代ツーリズムと温泉』ナカニシヤ出版