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4.大分県における近年の源泉分布と泉質分布 | |
6.なぜ大分県には温泉が多いのか |
大分県の温泉(9)大分県温泉調査研究会会長
別府温泉地球博物館理事長 由 佐 悠 紀 7.温泉の開発と利用-概要と略史-本シリーズの第2章「大分県の温泉分布・源泉数・温度などの概要」(EPO平成22年新年号)において、2008(平成20)年3月末の源泉総数および温泉採取量(自噴量と動力揚湯量の合計)を挙げ、都道府県別に比較すると、いずれも全国第1位であることを記した。それから4年後の2012(平成24)年3月末における状況を表14に掲げるが、源泉総数と採取量はそれぞれ全国の16.2%および10.6%を占めており、全国1位を保っている。
表14 2012(平成24)年3月末における源泉総数と温泉採取量(L/分)
7-1.豊後国風土記の記録 中部九州の東側に位置する豊後国(中津市と宇佐市を除いた大分県の全域に相当)のあちこちに温泉や地獄が存在することは、古くから知られていたらしい。最初の記録は8世紀前半に成立したとされる「豊後国風土記」に登場し、豊後国8郡中4郡に温泉(あるいは温泉と思われるもの)の記述がある。 【日田郡】五馬山(いつまやま)天武天皇のみ世の戊寅の年(678年)に大きな地震があり、山や岡が裂けて崩れた。この山の一つの谷間が崩れ落ちて湯の泉がところどころに出た。湯の気が猛烈に熱く、ご飯を炊くと早く蒸れた。1ヶ処の湯の穴は井戸に似ていて口径1丈(約3m)余りで深さははかり知ることができない。水の色は濃い藍色で、ふだんは流れない。人の声をきくと、驚き怒って泥を奔騰させることは1丈余りもある。今、慍湯(いかりゆ)というのはこれである。 【直入郡】球覃の郷(くたみのさと)ある天皇が行幸されたとき、食膳奉仕の人が御飲料の水として泉の水を汲ませると、オカミ(蛇または龍で、水の主として畏敬されていた)がいた。天皇は「きっと臭いにちがいない。汲んで使用させてはならぬぞ」と仰せられた。これによって、泉の名を臭泉(くさいずみ)といい、その名をとって村の名とした。球覃の郷と呼ぶのは訛りである。 球覃の峰(くたみのみね)この峰の頂上にはいつも火が燃えている。麓には数々の河がある。名を神の河という。また二つの湯の河がある。流れて神の河と会する。 (注:この峰は星生山~九重硫黄山のことと思われる。) 【大分郡】酒水(さかみず)この水の源は郡の西の柏野の磐の中から出て、南をさして流れ下る。その色は酒のごとくで、水にはすこし酸味がある。これを使って痂癬を治療する。 【速見郡】赤湯泉(あかゆ)この湯の穴は郡の西北の竃門山にある。周囲は15丈(約45m)余り、湯の色は赤くて泥がある。これを使って家屋の柱を塗ることができる。泥は流れて外に出てしまえば、変じて清水となり、東の方に下って流れる。それで赤湯泉という。 玖倍理湯の井(くべりゆのい) この湯の井は郡の西の河直山の東の岸にある。口径は1丈余りで湯の色は黒い。泥は普通は流れない。人がこっそり井のほとりに行って大声で叫ぶと。驚き鳴って湧きあがること2丈余りである。その湯気は猛烈に熱く、それに向かって近づくことができない。近辺の草木はすべて枯れしぼんでいる。それで慍湯(いかりゆ)という。土地の人の言葉では玖倍理湯の井という。 7-2.伊予国風土記が伝える「別府の温泉」とその効能日本三古湯とは「道後温泉(愛媛県)・有馬温泉(兵庫県)・白浜温泉(和歌山県)」を指すのが一般的であるが、中でも、古事記に記載されている道後温泉は、最古の温泉とされることが多いようである。ところが、愛媛県の古記録である伊予国風土記の記事は、これより古くから知られていた温泉があることを示唆している。その温泉とは「速見の湯」、すなわち「別府の湯」である。記事の概要は次のようである。 (日本の国づくりに励んでいた)大国主命と少彦名命が道後温泉辺りに差し掛かったとき、少彦名命が人事不省に陥った。大国主命は活かしたいと思い、大分の速見の湯を下樋(地下樋)で(海底を渡して)持ってきて少彦名命に浴びせたら蘇生した。 この記事は温泉には医療的効能があること、また、そうした効能がある温泉として「速見の湯」が知られていたことを伝えている。そうならば、別府の湯は道後の湯より古くから開かれていたことになるが、どうであろう。 注)前枠内に記した大国主命と少彦名命の神話は有名であるが、最近、「二神の役は逆」との説が出されている。 7-3.地獄の災厄と恩恵(近代以前) 古事記・日本書記・風土記等が編纂された後の温泉に関する記録はあまり多くないが、別府の地獄の記録などによれば、住民にとっての地獄は、一方では災厄を、他方では恩恵をもたらすという、相反する側面を持つ存在だったようである。 【災厄の例】
【恩恵の例】地獄の噴気:
硫黄の採取:別府の伽藍岳(別府硫黄山)・鍋山、九重硫黄山などで、硫化水素を含む蒸気から硫黄が採取された。
明礬の生産:別府の明礬地区では、地獄の噴気と青粘土が反応して生じる「湯の花(鉄・アルミニウムなどの硫酸塩)」を採取し、精製して「明礬」を生産した。質量とも全国一の明礬生産地であったという。 エピソード 7-4.温泉の開発 前節までに述べた事柄は、全て自然湧出の温泉・地獄に関わることであり、人間が自然に寄添うという、いわば受動的な温泉利用であった。ところが、明治時代に至り、まったく新しい観点からの温泉利用が始まった。能動的な温泉利用、すなわち、温泉開発である。 別府温泉郷(別府、観海寺、堀田、鉄輪、明礬、柴石、亀川;浜脇は名前だけ)・由布院・塚原・湯平・長湯・都野(七里田)・法華院・筋湯・星生・筌口・中野・寒ノ地獄・宝泉寺・壁湯・川底・天ヶ瀬・鷺来ガ迫 服部の著書の出版後、高度経済成長が進行し始めた1960年頃から、全国的に温泉開発が本格化した。大分県においても、別府を中心として全県的に新規掘削が進み、九重町では地熱発電のための大口径の孔井(地熱井)が掘削された。
表15 1970年および2010年における大分県の源泉の状況(いずれも3月末).
浴用・飲用に供されたもののみ.
2012年3月末の採取量内訳:自噴量119,939(L/分),動力揚湯量165,246(L/分). 出典: 〔1970年〕大分県鉱泉誌1970年(大分県厚生部), 〔2010年〕大分県環境白書 平成22年版, 〔2012年〕大分県環境白書 平成24年版. 7-5.温泉の他目的利用大分県における温泉利用の特徴のひとつは、表16に掲げたように、かなりの数の源泉が浴用・飲用以外の目的に供されていることである。
表16 大分県における浴用・飲用以外の源泉の状況(2012年3月末)
別府の「湯の花製造・観覧(地獄めぐり)」はユニークで、湯の花製造は重要無形民俗文化財に指定され(平成18年3月)、これらが行われている明礬地区および鉄輪地区の一部は、「別府の湯けむり・温泉地景観」として国の重要文化的景観に選定された(平成24年9月)。
(つづく) 「大分県環境保全協会会報 EPO 平成26年新年号(2014)」より |