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別府温泉辞典

あ か さ た な は ま や ら わ

地獄

じごく



地獄

じごく

※この項目では、地獄の概要について記述しています。別府の地獄については「別府の地獄」をご覧ください。

 地獄とは、仏説でいう六道の最下層にある、生前悪いことをした者が死後に落ちて行って大変な苦痛にさいなまれる所とされています。日本人は、それを現世のものになぞらえて、活火山や温泉地などの地熱地域で(地熱の項を参照)、高温の蒸気や熱湯が噴出して危険を感じる所を地獄と呼んできました。もともとは天然のものでしたが、現在では、掘削によって得られた噴気沸騰泉も地獄と呼ばれることがあります。
 江戸時代中期に出版された、絵図入りの百科事典と言われる「和漢三才図会」には、地獄のある場所(山)として、肥前(温泉-雲仙)・豊後(鶴見)・肥後(阿蘇)・駿河(富士)・信濃(浅間)・出羽(羽黒)・越中(立山)・越前(白山)・伊豆(箱根)・陸奥(焼山)が挙げられています。
 上記のほか、日本列島の各地には地熱活動の活発な地域が存在しており、地獄の名が付けられて、観光地になっている所もあります。それらの形態はさまざまで、次のようなものがあります。

○高温水が噴出する泉や井戸;沸騰泉や間欠泉。
○湯池や湯沼;赤・青・緑・黄・白などの色を呈するものがある。
○熱泥の沼;温水に泥が混じった沼、その色から紺屋地獄と呼ばれるものがある。
○坊主地獄;地下からの蒸気によって泥が半球状に盛り上がり、坊主頭のようになる。
○泥火山;蒸気によって泥が周辺に吹き飛ばされて出来る小丘。
○噴気孔や噴気地;噴気の項を参照。
○特異な景観;酸性熱水の作用で金属成分が流れ去って出来た、灰白色の荒涼とした草木の生えない不毛の地。

 以上のものとは別に、鳥地獄とか虫地獄という名の地獄もあります。温度は必ずしも高くないのですが、近づいた鳥や虫が死ぬという、生命の危険さによって名付けられた地獄です。おそらく、毒性のある硫化水素や、窒息させる炭酸ガスが吹き出しているものと思われます。
 また、ユニークな地獄として、その低温ゆえに名付けられた、九重(大分県)の「寒の地獄」が挙げられます。

 「和漢三才図会」には、地獄の具体例として、豊後の赤江地獄が紹介されています。「血の池地獄」のことでしょう。別府の地獄は、江戸時代においても、旅人の興味の対象だったようで、当時の紀行文にその様子が記録されています。別府の地獄については、項を改めて、別府の地獄別府の地獄リストに記します。

執筆者由佐悠紀)
参考文献

入江秀利(1995):「江戸時代の」別府温泉史料集成、(有)サンエス.
入江秀利(2001):天領横灘ものがたり-別府の江戸時代、おおくま書店.
日本温泉科学会(2005):温泉学入門-温泉への誘い-、コロナ社

地獄めぐり

じごくめぐり

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別府の地獄リスト

べっぷのじごくりすと

 ※この項目では、文献に登場する地獄または地獄と思われるものをリストアップしています。
〔 〕は、別府八湯に準じた地域名。
現存する名称はそのまま、( )は現在の名称や地獄のタイプ(いずれも推測)。


豊後国風土記(8世紀前半)

〔柴石地域〕赤湯泉(血の池地獄;湯池、赤色は酸化鉄の沈殿物)
〔明礬・鉄輪地域〕玖倍理湯井または慍湯井(坊主地獄;熱泥の沼、間欠的に沸騰)


貝原益軒(元禄7年;1694):豊国紀行

〔明礬・鉄輪地域〕鬼山地獄(湯池)・海地獄(湯池)・円内坊地獄(坊主地獄)


寺島良安(正徳2年;1712):和漢三才図会

〔柴石地域〕赤江地獄(血の池地獄)


古川古松軒(天明3年;1783):西遊雑記

〔明礬・鉄輪地域〕
  紺屋の地獄(紺屋地獄;熱泥の沼と坊主地獄)・油やの地獄(不明)・酒屋の地獄(不明)・
  池の地獄(海地獄)

〔柴石地域〕血の池地獄


脇蘭室(文化年間;1818~29):菡海漁談

〔明礬・鉄輪地域〕海地獄・紺屋地獄・鬼山地獄・園内坊地獄(坊主地獄)


蝶亭起友(弘化2年;1845):温泉めぐり

〔明礬・鉄輪地域〕紺屋地獄・坊主地獄・海地獄・地獄原(鉄輪の地域名;温泉と噴気)


直江雄八郎(弘化2年;1845):鶴見七湯廼記

〔明礬・鉄輪地域〕
  鶴見神山の地獄(鶴見岳山頂付近の噴気)・
  明礬山の地獄(明礬の自然噴気)・照湯の地獄(照湯温泉)・今井の地獄・園内地獄(坊主地獄)・
  山田の鍛冶地獄(明礬辺りにあった)・紺屋地獄


以上は主に「入江秀利(1995):「江戸時代の」別府温泉史料集成、(有)サンエス」および
「入江秀利(2001):天領横灘ものがたり-別府の江戸時代、おおくま書店」による。


川崎幾三郎(明治21年;1888):鉄輪蒸窖及両温泉分析並医治効用

〔鉄輪地域〕
  タウチの地獄(不明)・海地獄・鬼地獄・紺屋の地獄・坊主地獄・血の池地獄


松田繁(明治38年;1905):別府町・濱脇町鉱泉に関する取調書類

〔明礬・鉄輪地域〕海地獄・坊主地獄・地獄原
〔柴石地域〕血の池地獄
〔堀田・観海寺地域〕エゲ地獄(噴気と湯沼)・権助地獄(鶴見地獄?)


鈴木政達(昭和8年;1933):別府附近の地史と温泉脈、別府市誌(昭和8年版)

〔明礬・鉄輪地域〕
  紺屋地獄・鳶地獄・海地獄・羽室地獄(不明)・坊主地獄・今井地獄
〔柴石地域〕血の池地獄
〔堀田・観海寺地域〕エゲ地獄・三日月地獄(観海寺に地名あり)


昭和13年(1938)発行:大別府温泉観光鳥瞰図

〔明礬・鉄輪地域〕
  海地獄・坊主地獄・鬼山地獄・十万地獄(温泉;公園)・白池地獄・竃戸地獄(かまど地獄)・
  雷園地獄(掘削泉、消滅)・照湯地獄(照湯温泉)・紺屋地獄・鬼石地獄(鬼石坊主地獄)
〔柴石地域〕血の池地獄・龍巻地獄(間欠泉)
〔堀田・観海寺地域〕鶴見地獄・八幡地獄(消滅、公園)


湯原浩三(昭和39年;1964):
     別府周辺噴気孔の噴出熱量と熱力学的性質、大分県温泉調査研究会報告、第15号.

〔明礬・鉄輪地域〕
  鳶地獄(掘削)・紺屋地獄・坊主地獄・鉄輪地獄(掘削)・雷園地獄(掘削、消滅)・
  五さいほ地獄(掘削)・十万地獄・かまど地獄・海地獄・鬼石坊主地獄・金竜地獄・
  白池地獄・鬼山地獄・
〔柴石地域〕血の池地獄・龍巻地獄
〔堀田・観海寺地域〕恵下地獄(エゲ地獄)・鶴見地獄

(注)この調査では、別府全域で148の噴気・沸騰泉の噴出水量・熱量が測定され、結果は一覧表として示されている。上記には、一覧表で「地獄」の名が付けられているもの、および、「地獄」は付されていないが、地獄としての名が通っているものを挙げた。なお、「血の池地獄」は調査の対象外とされたが、ここに挙げた。


その他(執筆者が見聞したもの)

〔堀田・観海寺地域〕
  白龍地獄(自然噴気地と噴気井、消滅)・観音地獄(ラクテンチ内、噴気井、消滅)

執筆者由佐悠紀)

別府の地獄 -災厄と恩恵-

べっぷのじごく

※この項目では、別府にある地獄の概要、および、地獄がもたらした災厄と恩恵について記述しています。文献に登場した別府の地獄は「別府の地獄リスト」をご覧ください。

 8世紀前半に成立した「豊後国風土記」に登場する「赤湯泉 あかゆ」(血の池地獄)と「玖倍理湯井 くべりのゆのい(別名;慍湯井 いかりのゆのい)」(噴騰する熱泥の沼)が、地獄の名称は付いていませんが、別府の地獄に関する最初の記事と思われます。
 これに次ぐ記事は、鎌倉時代中期の言い伝え、時宗の開祖・一遍上人の事跡のようです。鉄輪の地獄に難儀していた人々のために、地獄を鎮めて蒸湯(むしゆ)を開いたというもので、鉄輪温泉の「湯あみ祭り」として顕彰されています。
 時代は下がり、江戸時代以降の記事に現れる地獄は「別府の地獄リスト」に掲げられています。現在、そのいくつかは観光施設として整備され、それらを見物してまわる観光コースは「地獄巡り」の名で全国的に知られています。
 住民にとっての地獄は、一方では災厄を、他方では恩恵をもたらすという、相反する側面を持つ存在で、次のような記録が残されています。

【地獄の災厄】

「出湯崩引(いでゆくずれびきむ)」

 (鉄輪地域)田畑のなかに熱湯や蒸気が噴出して荒地になってしまい、元に戻すことができないので、土地台帳を改めた。

「地獄の悪水(あくみず)」

 (鉄輪の下流地域)溜池などに温泉が流れ込んだため、田畑に悪影響が出た。

「地獄荒れ(じごくあれ)」

 (鉄輪地域)田の中に地獄が吹き出して、田植えも出来なくなったので、年貢の免除を願い出た。

「(地獄の)悪風(あくふう)」

 (鉄輪地域)山道で悪風が出て、通行の牛馬がしばしば即死したので、祈祷をしてもらったら、悪風が出なくなった。神に感謝して、奉納相撲を毎年行うこととした。(硫化水素が吹き出ていたのであろう。)

「地すべり」

 地獄地帯の傾斜地では、噴気熱水の作用によって岩石類が粘土化して(温泉余土)脆弱になり、地すべりが発生することがある。別府の地獄地帯では、以下の地すべりがあった。

観海寺地区で、昭和18(1943)年と昭和28(1953)年の2回にわたって、地すべりが発生した。小口径の横井戸を何本も掘削して水抜きを行った結果、停止した。
明礬地区で、昭和41年に地すべりが発生した。小口径の横井戸を何本も掘削して水抜きを行った結果、停止した。


【地獄の恩恵】

「イチビの皮剥ぎ」

 イチビ[キリアサ(桐麻)、ボウマ(莔麻)]とは、アオイ科の一年草で、皮は畳表の縦糸や舟の碇縄などに使われる。その皮を剥ぐのに、地獄の噴気で蒸すという工程があった。豊後特産の豊後表(七島藺の畳表、七島筵とも言う)の生産が盛んになり、地獄の使用権をめぐる争いが起こったという記録がある。
 また、地獄の噴気は、味噌の大豆を蒸すのにも使われた。

「硫黄の採取」

 別府の野湯として知られるようになった「鍋山」は、硫化水素を含む蒸気が吹き出す噴気地で、江戸時代中頃から断続的に、硫黄が採取された。「海内にして最上の佳品」だったと言う(鶴見七湯廼記)。

明礬の製造」

 金属と硫酸の化合物である明礬は、染色剤・防水剤・消火剤・皮なめし剤・沈殿剤などとして昔から広く使われ、近世に至ってますます需要が増えた。そこで、江戸幕府は専売品にしたが、別府の明礬地域は、質量とも全国一の明礬生産地であった。現在も作られている名産の「湯の花」を特殊な方法で処理して、明礬を生産したのである。しかし、明治以降、コスト高や海外からの輸入品などに押されて、地獄での明礬生産は衰えた。

地獄蒸し(料理)」

 いろいろな食材を蒸気で蒸すという料理法があるが、別府では、地獄の蒸気を使った蒸し料理が古くから行われていた。たとえば、「鶴見七湯廼記」(1845)には、詳しいレシピが記載されている。その後、多くの人が地獄蒸しのことを記録に残した。明治30年代の末ごろ別府を訪れたイギリスの写真家 ポンティング が、鉄輪では(地獄の)蒸気が料理に使われていると書き残している。
現在では、鉄輪地域の地獄蒸しが全国的に有名で、地獄蒸しをメニューに挙げている旅館・ホテルもある。そのほか、別府市などが設けた「地獄釜」を使って、持ち込んだ食材を地獄蒸しにすることができる。
 なお、豊後国風土記には、日田郡の五馬山(いつまやま:天ヶ瀬温泉と思われる)で湧き出す高温の湯を使うとご飯が早く炊けるという意味の記事がある。温泉(地獄)を使った料理の最初の記事ではないだろうか。

「地獄を使った蒸湯(蒸風呂)」

 石室に蒸気を導いた浴場を、石風呂あるいは蒸湯・蒸風呂と言う。現在のサウナである。別府では、一遍上人の事跡にあるように、その蒸気を地獄から引いた。貝原益軒の「豊国紀行」(1694)をはじめとする文書に、医療に用いられたことが記され、明治21(1888)年に出版された小冊子では「蒸窖(じょうこう)」と呼ばれて、入浴の方法および効能が詳述されている。ポンティングも蒸湯のことを記録し、「このトルコ風の風呂は、リウマチの治療にたいへん良く効くと言われている」と述べている。
 現在、一遍上人ゆかりの地に、「鉄輪むし湯」が開設されている。

執筆者由佐悠紀)
参考文献

入江秀利(2001):天領横灘ものがたり-別府の江戸時代、おおくま書店.
沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉(2008):「豊後国風土記・肥前国風土記」、山川出版社.
川崎幾三郎(1888):鉄輪蒸窖及両温泉分析並医治効用.(訂:入江秀利)
由佐悠紀(2007):英国人写真家ポンティングが訪れた明治末の別府と鉄輪、ゆけむり散歩、57.
別府市(2003):別府市誌2003年度版.

地獄蒸し

じごくむし

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