大分県の温泉(10)
大分県温泉調査研究会会長
別府温泉地球博物館理事長
由 佐 悠 紀
8.大分県の温泉に対する留意事項
平成25(2013)年11月、キャッチフレーズ「おんせん県おおいた」と「湯おけのロゴマーク」が商標登録された。このフレーズにはいろいろな意味が込められているが、そのひとつとして、大分県の豊富な温泉資源が象徴されていることは、本シリーズ「大分県の温泉」で述べてきたことからも首肯されるのではないかと思われる。
ことほどさように、大分県は温泉資源に恵まれている。とは言え、手放しで賞賛ばかりしてもいられない事もある。代表的な問題は、「温泉ガス」と「温泉資源」である。
8-1.温泉ガスの問題
「大分県の温泉(5):平成24年新年号(2012)」で述べたように、温泉は、熱源の観点から、「火山性温泉」と「非火山性温泉」の2種に分けられる。このうち、火山性温泉が古くから知られてきた温泉であり、マグマからの熱を熱源としている。一方、非火山性温泉は、火山とは直接の関係はなく、地下深部に閉じ込められた化石水(古い地下水や海水)が、地球内部からの熱流(地殻熱流)によって加熱されたもので、近年になって開発され始めた、新しいタイプの温泉である。別府市の温泉は前者、大分市の温泉は後者に当る。
【火山性温泉のガスの重要性と問題点】
火山性温泉の水は、ほとんどが降水起源である。地下深くまで浸透した降水が、マグマからの熱で加熱される過程は、「熱伝導」と「高温流体の混入」の2つであるが、とくに高温流体の混入が重要である。
マグマ起源の高温流体は、ガス状をしているため、一般にマグマガスとか火山ガスと呼ばれ、活動的な火山の噴煙から、その成分を知ることができる。その例として、九重硫黄山の噴気の化学組成を表17に掲げた。主成分は、圧倒的に多量な水蒸気(H2O)である。次いで、比較的濃度が高い成分として二酸化炭素(CO2)・二酸化硫黄(SO2)・硫化水素(H2S)・塩化水素(HCL)の4種がある。濃度の差はあるものの、世界各地の火山ガスも九重硫黄山のものと類似である。以下で現われる火山ガスの成分は、この4種を指すこととする。
表17.大分県の火山ガスの化学組成の例(主要成分のみ:体積%)
火山名 |
温度 ℃ |
H2O |
CO2 |
SO2 |
H2S |
HCL |
九重硫黄山 |
340 |
97.6 |
0.46 |
1.36 |
0.33 |
0.26 |
伽藍岳-1 |
114.7 |
99.07 |
0.774 |
~0 |
0.148 |
~0 |
伽藍岳-2 |
96.8 |
98.37 |
1.42 |
~0 |
0.200 |
~0 |
【出典】九重硫黄山(松葉谷,1991);伽藍岳(大沢ら,1998)
【火山性温泉におけるガスの重要性:泉質の源】
前記の4種のガスのうち、SO2とHCLは水に溶けやすい。これらに比べるとCO2とH2Sは溶けにくいが、条件が満たされれば、やはり溶けて、いずれの成分からも酸性水が生じる。これらの酸性水は、周辺の岩石に含まれる金属成分を溶かし出し、水自体は中性になる(化学的な中和反応)。
温泉の基本的な泉質は3つの陰イオン(塩化物イオン・炭酸水素イオン・硫酸イオン)によって決められ、それぞれを「塩化物泉」・「炭酸水素塩泉」・「硫酸塩泉」と呼ぶ。実は、上述の中和反応こそが、泉質の形成の基本的なプロセスなのである。これをまとめて、表18に記した。火山・地熱地域では、SO2とHCLに関する過程は地下深部で、CO2とH2Sに関する過程は地表近くで進行する場合が多い。
表18.火山性温泉の泉質の形成過程:各列を左から右にたどる。
火山ガスの成分 |
生じる酸 |
生じる陰イオン |
生じる泉質 |
HCL |
塩酸 HCL |
塩化物イオン CL- |
塩化物泉 |
SO2,H2S |
硫酸 H2SO4 |
硫酸イオン SO42- |
硫酸塩泉 |
CO2 |
炭酸 H2CO3 |
炭酸水素イオン HCO3- |
炭酸水素塩泉 |
さて、表17で注目されるのは、九重硫黄山の火山ガスには4種の成分が含まれているのに対し、伽藍岳(別府硫黄山)の火山ガスはSO2とHCLが欠けていることである。これは、先に述べた「(水に溶けやすい)SO2とHCLに関する過程は地下深部で(進行する)」ことの例となっている。すなわち、伽藍岳においては、地下深部で火山ガス(4種のガスを含む)が浸透水に混入し、SO2とHCLの2つは溶解してガスから取り除かれ、残りの二酸化炭素(CO2)と硫化水素(H2S)を含むガスが地表に噴出しているのである。
【非火山性温泉のガス】
非火山性温泉においては、化石水とともに閉じ込められた植物などの腐食によって発生した、ガスを伴うことがある。主なガスは、炭化水素(主にメタン)と二酸化炭素である。
【温泉ガスの問題点(事故)と対策】
以上のように、火山性であれ、非火山性であれ、温泉にはガスが関わっている。そうしたガスを「温泉ガス」と総称する。温泉に関わる代表的なガスは、先述されているように、二酸化炭素(火山性・非火山性)、硫化水素(火山性)、炭化水素(非火山性)である。これらのガスの特性、および、発生した事故を下に記す。
二酸化炭素:
我々におなじみのありふれたガス(炭酸ガス)で、「無色、無臭、助燃性なし、可燃性なし」であるから、通常はほとんど問題とならない。しかし、空気中の濃度が高くなると、人間は危険な状態になる。濃度が数 % を超えると頭痛・めまい・吐き気などを催し、さらには意識を失い、そのまま時間が経つと、呼吸が停止し死に至るといわれる。
人気の高い炭酸泉が、二酸化炭素を放出する温泉の代表格であるが、これまで、このガスによる事故は起きていない。
硫化水素:
無色で、「腐った卵のような臭い」などと形容される悪臭があり、有毒ガスとして、よく知られている。火山・温泉地で、このガスの有毒性によって起こったとされる人身事故として、次のようなものがある。
1986~1997年:阿蘇中岳で6件の事故、7名死亡。
(これには、二酸化硫黄も関連している可能性がある。)
1997年:八甲田山麓の窪地で、訓練中の自衛隊員3名死亡。
1997年:安達太良山の火口付近で、登山者4名死亡。
2005年12月29日:秋田県泥湯温泉の駐車場で、積雪の窪地に落ちた家族4名死亡。
2014年6月29日:北海道登別温泉町の登別病院の温泉貯湯タンクの中で男性2人が死亡。
硫化水素が検出された。
メタン:
炭化水素ガスの中で最も簡単なもので、無色・無臭の可燃性ガスである(しばしば悪臭がするといわれるが、誤解である)。かつては炭鉱で、メタンの引火爆発の事故があった。最近も、今年(2014)5月13日に、トルコ西部のソマ炭鉱で爆発事故があり、300人を超える死者が出た。温泉では、次のような事故があった。
2003年:宮崎県西都市で温泉掘削工事中にライターの火が引火、作業員3名やけど。
2005年:東京都北区で温泉掘削工事中に天然ガスによる火災発生。
2005年:大分市小野鶴で温泉掘削工事中に発火炎上。
2007年6月19日:午後2時半頃、東京・渋谷駅近くの温泉施設でガス爆発があり、女性従業員3名が死亡した。
また、女性2人と通行人の男性1人が重軽傷を負った。ほかに、耳の違和感を覚えた人もいた。
法的対策
東京都渋谷での人身事故は、社会に大きな衝撃を与え、これを機に温泉法第一条の条文が改正された。下記の下線部が改正(追加)の主要部分である。また、関連の条文および温泉法施行規則にも、ガスに関わる事項が追加された。
温泉法 第一条
この法律は、温泉を保護し、温泉の採取等に伴い発生する可燃性天然ガスによる災害を防止し、及び温泉の利用の適正を図り、もって公共の福祉の増進に寄与することを目的とする。
現実的な対策
温泉ガスによる事故が起こらないようにするには、それぞれのガスの特性を見極めた対策を講じなければならない。その基本は、掘削工事現場から利用施設にいたるまで、十分な換気を行うことである。その際、それぞれのガスの空気に対する比重のデータが役立つと思われるので、表19に掲げた。なお、参考のため、二酸化硫黄も掲げた。
表19.温泉ガスの標準状態における比重(空気を1とする)。(標準状態:0 ℃,1気圧)
ガスの種類 |
二酸化炭素 |
硫化水素 |
メタン |
二酸化硫黄 |
比重 |
1.529 |
1.190 |
0.555 |
2.264 |
空気より重いガス(比重が1以上)については、浴場をはじめとする施設の床部分を、ガス類が溜まらないような構造にすることが肝要である。また、火山や噴気地などの野外においては、とくに窪地のような低い所では、低所にガスが滞留しているおそれがあるので、不用意に腰を下ろさないことである。
大分県では、別府地域の伽藍岳・鍋山・明礬の噴気地、九重硫黄山の噴気地などで硫化水素が噴出しているので(九重硫黄山には二酸化硫黄も噴出)、訪問者は注意を要する。
他方、メタンのように空気より軽いガスについては、上方を開放して、ガス類が抜けるような構造にすべきである。
可燃性のメタンについては、不用意な行動による発火や引火が起こらないように注意するのは、もちろんである。大分平野では、天然ガスの存在が知られているので、細心の注意をはらう必要がある。
8-2.温泉資源の問題
日本で最初(あるいは、世界で最初)の温泉井戸掘削は、明治12(1879)年4月、別府市の秋葉神社の近くで、神澤儀助が行った。深さは12尺(約4m)、方法は「上総掘り」の原型的なものであった。これを契機に、別府では温泉掘削が進み、明治の中期から後期にかけて、乱掘状態になった。そのため、温泉資源の枯渇が憂慮され、明治38(1905)年2月には現況調査が行われたほどである。
それから約20年後、大正13(1924)年に、京都大学地球物理研究所(現:地球熱学研究施設)が現在地(ビーコンプラザの前:赤レンガの建物)に開設され、南部地域(境川より南)の温泉の一斉調査が行われて、旧別府の温泉の総合的実態が初めて明らかになった。
約800口の源泉は全て自噴泉で、1日当りの湧出量は約1万8千キロリットル(1924年と1933年の平均)、流域雨量の16%に相当した(野満ら,1938)。他の温泉地では、1980年頃の箱根温泉で4.6%、湯河原温泉で5.5%という見積値があるが(環境省自然環境局,2014)、これらと比べて格段に大きく、別府の温泉資源の豊かさが実感される。
この初期の見積から30年以上が過ぎ、太平洋戦争を経て、温泉利用が再び盛んになった1960年代には、日本各地で温泉採取量が増大し、温泉資源の枯渇現象が問題となり始めた。大分県もそうであって、とくに源泉が密集する別府温泉では、自噴量の減少や自噴の停止などの現象が進み、何らかの対策が迫られることになったのである。その頃の別府温泉中心部での源泉分布の一例を図11に示すが、超過密状態であることが分かる。
図11 別府温泉中心部での源泉分布(昭和30年代):円の半径は100m
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このような状況のもと、大分県では温泉資源の保護のため、温泉掘削や動力揚湯装置の設置に基準を設けることとなり、大分県温泉調査研究会が実施した調査結果に基づいて、昭和43年に「原則として新規の掘削を認めない(代替掘削を除く)特別保護地域」として、次の3地域を指定した。
「別府市南部特別保護地域」・「別府市亀川特別保護地域」・「別府市鉄輪特別保護地域」
このとき、上記以外の県内全域は「既存泉から60m以内の新規掘削を認めない(代替掘削を除く)一般地域」とされた(ただし既存泉が噴気・沸騰泉の場合は、150m以内の新規掘削は認めない)。
また、埋設管の口径は公共用が50mm以内、自家用が40mm以内、動力による揚湯量は1分間50リットル以内に制限された。
その後、昭和47年には、温泉開発が進展した湯布院町で、下記の3地域が特別保護地域に指定され、また、噴気・沸騰泉の口径は80mm以内とされた。
「湯布院町川南特別保護地域」・「湯布院町乙丸・温湯特別保護地域」・「湯布院町湯平特別保護地域」
このほかにも、既存泉からの距離が150mまたは100m以内での新規掘削を認めないという「保護地域」も、いくつかの地域で指定されている。なお、特別保護地域および保護地域の具体的な区域などは、大分県のホームページで閲覧することができる。
以上の掘削制限による大分県の温泉資源保護対策は、全国的にみても、もっともレベルの高いもののひとつと思われる。しかしながら、この掘削制限設定以前、昭和30年代の後半ごろから始まっていた温泉掘削ブームによって、それまでより大量の温泉水が採取されるようになっていた。
この掘削ブーム期に、別府温泉では、高地部で高温の温泉(噴気・沸騰泉)の開発が進んだ。これによって「湯けむり」が増加し、それらが醸し出す景観は、平成24年9月19日、「別府の湯けむり・温泉地景観」として、国の重要文化的景観に選定された。
ところが他方では、かつて存在した低地部の沸騰泉はほとんど無くなり、また、低地部温泉の泉質の変化や温度低下が認められるようになった。現実の問題としては、代替掘削によって掘削深度が増大する傾向が目立つようになっている。この掘削深度増大の傾向は、別府だけに限らず、県内のほとんどの温泉地で進行しているのである。
このような状況にあっては、さらなる資源の保護が要求されよう。しかしながら、温泉は利用されてこそ価値がある。温泉の熱を利用した発電など、新たな利用形態が登場し、従来の入浴を主体とした温泉利用のあり方に変化の兆しが現われている。このようなときに当り、資源の保護と利用を調和させる取り組みが、これまで以上に強く期待される。
明らかに重要なことは、温泉利用の合理化である。具体的には使用量を節約し、採取量を必要最小限に抑制することである。これを進めるには、温泉の採取者・利用者の協働がなければおぼつかない。大量の温泉水採取は、資源量を枯渇させ、その弊害は必ず採取者・利用者にはねかえってくる。採取量抑制の行動は、まさに「情けは人の為ならず」なのである。
9.地球的視野からみた大分県の火山性温泉(あとがきに換えて)
地球の表面は10数枚の岩板(プレート)で覆われ、それらは、下方のマントルの対流の影響を受けて、運動している。2億年もの時間をかけて太平洋を移動してきた海洋プレートは、アジア大陸のプレートにぶっつかり、その下に沈み込んでいる。日本列島は、そのような地域であり、地理的には「弧状列島あるいは島弧」と言い、運動の観点からは「沈み込み帯」と言う。プレートの沈み込み口が「海溝」または「トラフ」である。
【火山の噴火】
海溝やトラフで沈み込んだ海洋プレートは、温められながらマントルの中を斜めに沈み込み続ける。プレートが約100kmの深さに達すると、引きずり込まれた海水の作用によって、プレート上面に接するマントルが溶けてマグマの素ができる。
これらのマグマの素は周囲の岩石類より密度が小さいので上昇し、およそ10km程度の深さにいったん停滞する。これが「マグマ溜り」である。そして、条件が整えば、地表に向かって上昇・噴出し、噴火にいたる。大分県の火山は、こうしてできた。
【火山性温泉の陰イオンの源と循環】
マグマの素ができるとき、プレートに乗っていた堆積物の一部は海水と共にマグマ側に取り込まれる。したがって、火山性温泉の陰イオンの源となる火山ガスの中には、それらの成分が含まれている。
大分県九重火山の東南麓の炭酸泉・長湯温泉の炭酸ガスはマグマ起源である。近年、その炭素の約70%は海で生成された炭酸塩起源であることが知られた。プレートに乗っていた堆積物中の炭酸塩(サンゴや貝殻など)のCO2が、マグマに取り込まれたのである。これを敷衍すれば、火山性温泉の基本的な成分である塩化物イオンも、海水起源である可能性が高い。
そうとすると、沈み込み帯では「プレート上の堆積層→マグマ→火山ガス→温泉→海→プレート上の堆積層→・・」というように、温泉を介して、塩素や炭素(物質)が循環していることになる。
海洋のプレートが海溝で沈み込んでから火山噴火・温泉湧出に至るまで、おそらく数百万年・数千万年の時間がかかっているものと思われる。
大分県の温泉には、そうした壮大な地球規模のドラマが秘められている。
図12 島弧(沈み込み帯)における海域-陸域間の塩素循環の模式図.
炭素(CO2として)も同様の循環をしている.
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- 野満隆治・池田亮二郎・瀬野錦蔵(1938):別府温泉涵養源としての雨量,地球物理,2,97-126.
- 松葉谷治(1991):「熱水の地球化学」,裳華房.
- 大沢信二・大上和敏・由佐悠紀(1998):伽藍岳の地熱調査(4),大分県温泉調査研究会報告,49,5-10.
- 環境省自然環境局(2014):「温泉資源の保護に関するガイドライン(改訂)」(インターネットで検索可能)
【謝辞】
平成22年新年号(2010)以来5年間10回にわたって、このシリーズを連載させていただきました。これを通して、筆者自身も温泉への考えを整理することができたと思います。連載を終えるに当り、この機会を与えてくださった大分県環境保全協議会に深く感謝の意を表する次第です。
(おわり)
「大分県環境保全協会会報 EPO 平成26年夏号(2014)」より
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