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2012年12月2日更新
第3回
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海軍さんってカッコ良かったウェストまでの短い上着、帽子に巻いたペンネントというリボンや軍服の腕には゛桜と錨゛のマーク。若い下士官や水兵たちの鍛えられた体の美しさは女性たちの憧れの的でした。「海軍さん」と呼ばれた将兵たちは海上の軍艦で何か月もきびしい訓練を受けつづけるわけですが、合間の休暇に陸へ上がって息抜きの寄港をしました。連合艦隊が入港すると延べ何万人という将兵が遊ぶわけですから、 町は海軍さん一色になりました。 別府温泉に大規模な連合艦隊が入港するようになったのには゛きっかけ゛がありました。それは、有名なフグ料理の料亭『なるみ』の経営者高岸源太郎の存在でした。稼いだお金は惜しげもなく陸海軍に寄付し、料亭の正面玄関には漆喰で彫られた錨のマーク、お国のためなら命も投げ出そうという気ッ風の良さ。その源太郎と、時の海軍軍令部長加藤寛治大将が同じ福井県の出身という縁もあって「ぜひ別府に入港を」「よし、わかった」ということになり昭和4年以降大規模な入港が始まったということです。 ではどのくらいの数の軍艦と人がやってきたのでしょう? 昭和8年の記録によると、2月9日、『鳥海(ちょうかい)』『摩耶(まや)』『高雄(たかお)』『愛宕(あたご)』など1万トン級の最新鋭重巡洋艦を中心とする第二艦隊29隻が停泊しました。沖合にずらりと並んだ大きな艦からランチで乗組員が上陸してくるわけです。いっぺんには上陸しきれないから半舷上陸といって半分ずつやってくる。町じゅうに歓迎の旗が張り巡らされ゛無敵艦隊 大歓迎゛の立て看板。カフェーも旅館も検番も遊郭もバーも「海軍さん、海軍さんで、別府市民は見向きもされなかった」と元ふるさと館館長西村武人さん。 大分みらい信用金庫80周年記念誌『別府近代の宝庫』/2003年版別府市誌
別府検番別府温泉にはたくさんの芸者さんがおり、また遊郭にはたくさんの娼妓がいました。明治44年12月末の調査に芸・娼妓350人と記され、昭和8年の調査では芸妓162人、芸妓置屋109軒、娼妓216人、酌婦442人となっています。 『連合艦隊が別府に入ると、「なるみ」は海軍さんでいっぱいになりよった。山本五十六さんは部下からオヤジと呼ばれていましたよ。山本五十六さんは、酒は一滴も飲まんの。サイダー飲むの。みんながワァーッとお酒を飲むと、山本五十六さんも一緒になってワァーッとサイダー飲むの。みんながオヤジ、オヤジと言って酒をつぎにくるでしょう。私たちがそのお銚子にサイダーか番茶を入れておくのよ。それをさす方もサイダーだって知ってるんだけど、やはりオヤジにささないと気がすまないのね。』芸者おふじ思い出ばなし(月刊アドバンス大分昭和51年3月号) |