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2019年12月12日更新
第10回
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風土記の記述がなんとなく気になって かねてより疑問に思っていたことがありました。
小さなスクナヒコナの命という神さまが卒倒したのでオオナムチの命という神さまが別府の湯を地下のパイプで引いてきてスクナヒコナさんをそのお湯に浸けると活き返り、何事もなかったかのように「しばらく寝ちゃってた」とおっしゃって元気に力をこめて地面を踏まれた、その足跡が湯の中の石の上に残っている、というお話なのです。
別府温泉地球博物館からの解答 はじめに思い浮かべたのは、「古代は一つの海の周辺が同じ文化圏だった」という民俗学の説で、瀬戸内海周辺の別府や愛媛もまるで同じ国のように行き来していたのだろうと想像してみました。別府温泉の血の池地獄とか間欠泉の凄い湯量を見ていた伊予の人たちが、伊予に湧きだした温泉を「あの凄い別府温泉から地下を通って流れてきたのだ」と思っても不思議ではない、と。 『海賊』が化石を拾っていた 実は私は長年にわたって地方の雑誌や単行本をつくる仕事をしていて、昨年、香川県坂出市岩黒島の岩中水産社長・岩中髙夫さんの本を作らせていただきました。本の題名は『海賊』です。鬼オヤジの髙夫さんは奥さんの敏子さんと二人でメバルの密漁をして真っ暗闇の瀬戸内海で海上保安庁の巡視船と渡り合い、息子の優次さんはタイラギ漁で「頭がオカシイんじゃろ」と言われる水深50メートルに潜ってきたという凄腕のファミリー。由佐先生のお話に感動していたちょうどそのとき鬼オヤジさんから電話がかかったので「2万年前、瀬戸内海は陸地だったんですって。ナウマン象の化石が出るかもしれないって」と由佐先生のお話をそのまま伝えると「うんうん。そうな。ワシはそのナウマン象の歯の化石を上げとるし、息子の優次は牙の化石を上げとるよ」と、こともなげにおっしゃるので”小さい”私としてはまたもや驚嘆してしまいました。鬼オヤジさんのお話はこうです。
ナウマン象の牙は、長男の優次が水深45mの海底でタイラギ漁してるときに見つけたんや。見つけたときは牙はまるまる1本、完全な形であったんやて。それが命綱つけて船に上げるときに3個に折れてしもうた。2個は上げたけど、先の部分はわからんようになったていう話や。牙も、うちに置いてある。 瀬戸内海は、本当に陸地だったのですね。こうして、伊予の国風土記をめぐって一日に二度驚嘆したのでした。 追記 2018年秋、日本温泉科学会の大会が別府市で開催されましたが、石川理夫先生が講演で『伊豫国風土記』の話をされました。原文は漢文で書かれているが、和文にするとき読み違えたのではないか。オオクニヌシがスクナヒコナを助けたことになっているが、漢文ではスクナヒコナがオオクニヌシを助けたとなっている・・という内容でした。詳しくは石川理夫著『温泉の平和と戦争』2015年 彩流社 (三浦祥子)
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