アイスランドの首都レイキャビークの東方約100キロメートルのところに、ヘクラという名の活火山があります。標高1,491m、近年はおよそ10年ごとに噴火し、数あるアイスランドの火山の中でも最も活動的と言われています。1300年の噴火では死者600人と記録され、中世には「地獄の門」と恐れられていました。2010年4月、大噴火を起して大量の火山灰を噴き上げ、ヨーロッパに航空災害をもたらしたエイヤフィヤトラヨークトル火山は、ヘクラ火山の南にあります。
そのヘクラ火山が、1845年9月2日に大噴火しました。当時アイスランドを支配していたデンマーク政府は、ヘクラ火山の科学的な調査を計画し、ドイツのマールブルグ大学教授・ブンゼンに調査を依頼しました。
ブンゼンの名は、誰でも一度は耳にしたことがあると思います。理科の実験室には、その名を冠したブンゼンバーナーがあった筈です。
ローベルト・ヴィルヘルム・ブンゼン(Robert Wilhelm Bunsen; 1811~1899)は、化学の分野でかずかずの業績を挙げた大学者ですが(たとえば、セシウムやルビジウムを発見しています)、若い頃から地質学に興味を抱いていました。そういうことが、外国の政府にも知られていたのでしょう。依頼を受けたブンゼンは、ヘクラ火山噴火の1年後1846年に現地調査を行い、火山ガスや火山岩を採取・分析しました。また、間欠泉に出会いました。
当時、間欠泉の水は火山起源で、雨水とは別の水と考えられていたのですが、ブンゼンは採取した火山岩を雨水に入れて沸騰させ、間欠泉と類似の水を得ました。かくして、ヘクラ火山にある間欠泉の水は、雨水起源であると結論づけたのです。これが、温泉水の起源に関する最初の近代的な研究となりました。後世、ブンゼンの説は循環水説と呼ばれることになります。そして、温泉水の起源は、現代に引き継がれて、研究が続いています。
もうひとつ、ブンゼンは間欠泉の噴出機構に大きな興味を覚え、間欠泉内の水温鉛直分布の変化を測定し、さらに理論と模型実験の両面から研究を行って、「垂直管説」として知られるメカニズムを提唱しました。1847年のことです。その後、間欠泉の研究は他の研究者に引き継がれました。日本では、ブンゼンからおよそ60年後、本多光太郎と寺田寅彦が熱海温泉の間欠泉をモデルにした研究を行っています。
ここに紹介したブンゼンのアイスランドにおける調査研究が、近代的な温泉科学の始まりとされています。ブンゼンは1852年からハイデルベルグ大学の教授となり、ハイデルベルグで亡くなりました(享年88歳)。前回記した宇田川榕菴は、ブンゼンが現地調査をした1846年に亡くなっています(享年48歳)。
福富孝治(1936):「温泉の物理」、岩波書店.
湯原浩三・瀬野錦蔵(1969):「温泉学」、地人書館.
国立天文台(2009):「理科年表」、丸善株式会社.
ウィキペディア:「ブンゼン」および「ヘクラ火山」の項.
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