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2013年3月12日更新
第7回
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京都大学地球熱学研究施設【登録有形文化財(建造物)1997】 (画;財津秀邦) |
【温泉総調査】
別府地球物理学研究所(以下、地物研)の最初の仕事は、別府旧市内(大字浜脇と大字別府)の温泉台帳の作成でした。市内を軒別に訪ねて源泉の有無を問い合わせ、実在するものは、その所在地、所有者、掘削年月日、最近の加工の有無、井戸の深さ、埋設管の種類と口径、利用状況などのほか、季節変化や潮汐の影響の有無が記載され、湧出量・泉温が測定されました。
1924(大正13)年の最初の調査では、源泉総数は1292、活動している源泉は826、その内自然湧出泉は18、他は全て掘削泉でした。同様の調査は1933(昭和8)年にも行われ、得られた結果は、前回の調査結果と併せて、京都帝国大学地球物理学教室が発行した学術誌「地球物理」の創刊号(1937年)に、「別府旧市内温泉概観(Ⅰ)」の標題で掲載されました。
これらの調査結果から、1933年における1日当りの流出熱量は7.4×108kcal(35 MW)と求められています。また、107ヶ所の温泉について化学分析が行われ、1日当りの流出物質量は固形物だけでも約20トンと見積もられました。こうして、市内温泉の実状が初めて明白になったのです。
表 1924年と1933年の温泉総調査の比較
年次 | 源泉総数 | 活動源泉数 | 最高泉温 | 最深井戸 | 日当り総湧出量 |
1924 | 1292 | 826 | 68.6℃ | 165m | 16,320m3 |
1933 | 1394 | 756 | 71.5℃ | 274m | 18,790m3 |
【地質学的研究】
最初の学術研究は、鈴木政達助教授による別府地域の地質学的研究でした。鈴木助教授は、それまでに蓄積されていた調査・研究結果を取りまとめるとともに現地調査を行い、論文「別府附近の地史と温泉脈」を別府市誌(昭和8年版)に発表しました。この中には、この地域の火山岩の種類と分布、火山活動、地殻変動(注)、温泉や地獄の種類と分布が述べられており、基本的な部分は現在も通用します。この重要な論文が学術誌ではなく行政誌に掲載されたのは、現在からみれば不思議ですが、当時は発表する場が限られていたのでしょう。
鈴木助教授は、2年後、病を得て逝去しました。この後、地物研における調査研究は主に温泉現象の地球物理に進み、地質学的研究は他の研究組織にゆだねられました。このような事情もあって、鈴木助教授の論文は埋没したかもしれなかったのですが、さらに2年後の1937年、京都帝国大学地球物理学教室が発行した学術誌「地球物理」の第1巻第1号に、志田教授の開所式挨拶に続いて、最初の論文として収録され、研究者に知られるようになりました。
(注)火山岩の種類と分布、火山活動、地殻変動
鈴木助教授の所論を箇条書きで記すと、次のようになる。
この論文の最後は、次のように締めくくられている。
「本地域は火山地帯なると同時に地殻変動地帯にして、両者は相俟ちて茲に凡てに優越なる温泉地帯を形成せるものなり。」
有史時代の地変:瓜生島の沈没
別府湾沿岸では、1596(慶長元)年の豊後地震によって瓜生島(大分西港の辺りにあった沖ノ浜と考えられている)が沈没したという事件が語り伝えられてきた。鈴木助教授は、この地変を考察し、津波による流失説を退けて、断層運動による陥没説を採っている。
後年、1970年代に、瓜生島調査会(執筆者も会員である)は海底下の地層の音波探査を行って、沖ノ浜と目される海域で地崩れの跡を検出し、地震の揺れによる液状化現象と、それに続く津波によって流失したものと結論づけている。また、別府湾の北部、日出沖で発見した断層群のひとつが、この地震の震源であったと推察している。