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2013年2月8日更新
第6回
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図1 伊豆・下河津温泉における泉温(℃)と 塩化物イオン濃度(g/ℓ)の関係 |
下河津温泉における研究の補足説明
下河津温泉には、一般温泉と沸騰泉が存在します。図1には、横軸を泉温、縦軸を塩化物イオン濃度として、2種の温泉のデータがプロットされています。まず、泉温が100℃未満の一般温泉では、泉温と濃度の間に右上がりの直線関係が認められます。このことは、下河津温泉は、「低温・低濃度の地下水」と「高温・高濃度の原温泉水」とが混合して出来ていることを示唆しています。なお、直線関係は次のように表されます。
〔濃度(g/ℓ)〕= 0.0059×〔温度(℃)〕- 0.13
ところが、泉温が100℃の沸騰泉の濃度は、約0.5g/ℓを最低限として、それより大きい値を示しています。このことから、地下では100℃を超えているものと推察されます。しかし、高温水が地表に向かって上昇すると、圧力が低下して沸騰するので、気化熱(蒸発の潜熱)が失われ、大気圧下の沸点100℃を超えることはできません。
他方、沸騰泉の水蒸気は、高温水から分離したものです。したがって、沸騰泉の塩化物イオン濃度は濃縮されています。
以上のように、沸騰泉のデータから、地下で100℃を超える高温水の温度と濃度を推定するに当たっては、沸騰の効果を考慮しなければなりません。福富は、その理論を提出しました。
ちなみに、噴出する「液体の高温水」と「水蒸気」の両者の量を測定すれば、地下での温度と濃度を算出することが出来ます。
上諏訪温泉における泉温と塩化物イオン濃度の直線関係
泉温と塩化物イオン濃度との間の直線関係は、下河津温泉でデータが得られる以前に、長野県の上諏訪温泉で、吉村信吉によって見出されていました(昭和7年:1932)。
吉村信吉(1906~1947)は、日本における湖沼研究を世界レベルまで高めた湖沼学者・地理学者として、その名を残しています。驚くほど精力的に数百編にものぼる報告・論文を発表し、名著の評価が高い「湖沼学」を著しました。温泉の調査研究を行ったことはあまり知られていませんが、研究生活の初期に発表した上諏訪温泉のデータは、記念碑的なものと言えます。
大きな業績を挙げた研究者ながら、太平洋戦争後は中央気象台(現気象庁)の技師に転じ、結氷した諏訪湖で観測中に氷が割れて殉職しました。昭和22年1月21日のことです。享年41という若さでした。
図1と同様のデータは、別府の亀川温泉でも得られています(図2)。これより、亀川温泉を涵養している原温泉水の温度は160℃以上、塩化物イオン濃度は2300mg/ℓと推定されました(昭和41年:1966)。
図2 別府・亀川温泉における泉温(℃)と塩化物イオン濃度(g/ℓ)の関係 |
(付記)
福富孝治先生は、大分県と深い関係があります。出生地は長崎市ですが、父君の転勤に伴って大分県に転居し、杵築中学校を卒業されました。地震・火山・地殻変動から海洋・湖沼・温泉まで、多岐にわたる分野の研究を行いましたが、終生続けられた温泉研究では66編の論文を残されました。それらについては、これからも折にふれて、紹介したいと思います。また、しばしば参考文献に挙げている「温泉の物理」は、先生が28歳のときの著作です。