〔別府温泉での研究-昭和10年代から40年代まで〕
【海岸地域の地下水理学】
(不圧地下水や被圧地下水などの述語は、別府温泉事典の地下水を参照して下さい。)
その1:太平洋戦争以前
海岸近くの井戸では、潮の満ち干の影響を受けて水位が上下します。これを潮汐影響と言います。19世紀の末頃には世界のあちこちで科学的な観測が行われ、潮汐影響は海岸から離れるほど小さいこと、多くの場合、変動の時間(位相)は遅れることが知られました。「多くの場合」と書いたのは、位相がほとんど同じものや、位相が進むように見えるものも観測されたからです。
さらに、海岸からかなり離れたところでも潮汐影響が検出された例もあります。たとえば、本多光太郎は、海岸から3 km離れた東京大学構内の井戸で1~3 cmの振幅の潮汐影響を観測しています(「温泉科学 第5回」を参照)。
地下水の一種である温泉も同様の影響を受けます。全ての温泉が自噴していた頃の別府温泉では、湧出量だけでなく泉温も変化することが知られていました。京都大学別府地球物理学研究所(現:地球熱学研究施設)が行った最初の調査研究の一つは、そうした潮汐影響に関するものでした。得られた主要な結果は「温泉科学 第8回」に、泉温の変化については「温泉科学 第11回」に記されていますが、その中から本項で取り扱う2つの現象を下に掲げます。
(1)潮汐影響は海岸近くで大きく、遠ざかるにつれて急激に小さくなる(図1)。
(2)湧出量と潮汐の変化の間には位相差がない。
図1 別府で観測された海岸からの距離と潮汐影響の度合.
横軸:海岸からの距離,縦軸:潮汐影響の度合. |
潮汐影響は各地で観測されたのですが、昭和時代の初め頃までは、現象の記述的な報告が多く、数理的な取扱いはあまりなされていませんでした。京大別府研究所の第2代所長・野満隆治教授(「温泉科学 第8回」参照)は、この現象の数理的表現に取り組み、1941(昭和16)年に論文「海岸地下水の研究(第3報):其の二 潮汐と地下水位[附]別府温泉の感潮度」を発表しました。
地下水は不圧地下水と被圧地下水に分けられますが、野満教授の論文は両者を取り扱っていることに加えて、被圧地下水については、帯水層(地下水層)からの「漏れがない場合」と「漏れがある場合」の二つのモデルを考察しており、包括的な内容になっています。
野満は、得られた理論式と上記2つの観測結果を対比し、別府温泉の場合は「漏れのある被圧帯水層」のモデルが適切であると結論しました。この場合の「漏れ」をもたらすのは、図2に描かれている、数多くの自噴泉です。
図2 野満による「漏れのある被圧帯水層」:
多数の自噴泉が描かれている.
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「帯水層からの漏れ(多数の自噴井)」があれば、なぜ潮位と湧出量(または地下水位)の間に位相が無くなるのでしょうか? その数式は「海岸地域の地下水理学 その2」で紹介することにし、ここでは物理的な解釈を記すことにします。
漏れのある被圧帯水層では、潮位と自噴量の変化に位相差が無くなる理由
図2において、潮位が上昇して満潮を向かえ、干潮に転ずる場合を考えます。
まず、自噴井が無いとすれば、潮位が上昇すると、海水に接している地下水の水位(水圧)も上昇し、それが内陸方向へと伝わっていきますが、内陸での自噴量(地下水位)のピークは潮位のピークより遅れて現われる、すなわち位相が遅れます。
ところが、多数の自噴井(漏れ)があると、地下水位が上昇すれば自噴量(漏れの量)も増えるので、地下水位には低下の傾向が生じます。したがって、この場合の地下水位のピークが現われる時間は、「潮位上昇による水位上昇の伝播の早さ」と「漏れによる水位低下の大きさ」の兼ね合いによって決まるので、漏れが無いときのピークの時間より早くなります。そして、漏れの効果が十分に大きいと、位相差が無くなることになります。
この問題は帯水層を通しての圧力伝播の物理なのですが、それを記述する微分方程式は、固体中の熱伝導の式と形式的には同じなのです。そして、水理的な「漏れ」は、熱伝導における固体表面を通しての「熱放散」に相当します。