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2013年4月12日更新
第8回
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21ヶ所の温泉での観測結果から導かれた、潮汐影響に関する主な結果は次のようなものでした(野満・瀬野・中目,1948)。
1. | 湧出量変化は潮汐変化に比例して増減する。その差が最大のものは19.74 ℓ/分で、平均湧出量の94%に達するものもある。 |
2. | 潮汐影響は海岸近くで大きく、遠ざかるにつれて急激に小さくなる。 |
3. | 湧出量変化と潮汐変化の間には位相差がない。(注:時間のずれがない。付図で確かめてください。) |
4. | 泉温は湧出量に並行して上下し、変化幅が9.3℃におよぶものもある。この変化は、湧出する途中での冷却による二次的なものである。(注:湧出量が多いときは、温泉水の上昇速度が大きいので、冷却が小さい。少量のときは、速度が遅いので、冷却が大きい。) |
以上のうち、3の結果は奇異に感じられるかもしれませんが、後に数理的に説明されました。(注:自噴泉が沢山あったことが、その理由です。)また、この観測によるデータの詳細な解析から、気圧変化との関係(気圧影響)も検出されています。これらについては、後世、後輩たちによって洗練された取扱いがなされました。
別府温泉で潮汐影響の観測研究を行った初期の研究者
ここに紹介した潮汐影響の観測研究を主導したのは、京大地球物理学教室の海洋学講座を主宰した野満隆治(のみつ たかはる:1884~1946)教授です。野満教授は、海洋学・河川学・地下水学・温泉学など、地球上の水に関する幅広い分野の地球物理学的研究を精力的に推進するとともに、志田教授〔研究のあゆみ(5)参照〕の後を継いで、別府地球物理学研究所における研究の基礎作りに尽力しました。研究に当っては、現象の数理的記述と解析に力を発揮し、温泉・地下水の分野では非定常揚水理論を独自に展開しました。現在、その理論式はタイスの式(Theis equation)として知られています。野満の名前が埋没したのは、公表が遅れたことのほかに、それぞれの発表の場が、一方は日本語圏、他方は英語圏であったことに因っているように思われます。
野満教授を補佐して現地観測を中心になって実行したのは、瀬野錦蔵(せの きんぞう:1905~1964)副手です(後に教授)。瀬野は、この観測研究を基礎にして別府温泉の研究を発展させ、理学博士の学位を授けられました。この項の執筆者は、大学3年のとき、瀬野先生の温泉学の講義を受講しましたが、その2年後、先生は病を得て亡くなりました。講義に使われたテキストは、ガリ版刷りのものでした。そのテキストが、しばしば引用する教科書「温泉学(湯原・瀬野,1969:地人書館)」の基になっています。