〔間欠泉;地殻変動と温泉-明治末期から昭和初期〕
前回述べた京都帝国大学理学部地質学科を核とした温泉研究と前後して、東京帝国大学理科大学に所属する少数の物理学者による研究がありました。温泉に関する地球物理学的研究の始まりのひとつです。
本多光太郎(1870~1954;東北大学総長など)と言えば、強力な永久磁石「KS鋼および新KS鋼」を発明するなどの業績を挙げた、鉄鋼・金属の世界的権威者を思い浮かべるのですが、大学を卒業し(明治30年:1897)、研究者の道を歩み始めた頃は、温泉や地下水の研究も行っていました。最初期の研究は、東大構内にあった井戸の水位変動の観測と解析で、気圧変化や東京湾の潮位変化の影響を検出しています(明治37年:1904)。
この頃、後輩の寺田寅彦(1878~1935;東京大学教授)が共同研究者となり、熱海温泉の大湯間欠泉について、観測と模型実験の両面から研究し、有名な空洞モデルを提案しました(明治39年:1906)。その後、大湯間欠泉は噴出しなくなりましたが、現在は人工の間欠泉として復原されています。
寺田寅彦が語った本多光太郎のエピソード
本多光太郎は、無類の実験好きとして知られていました。同様のことを、寺田寅彦の門下生である宇田道隆(1905~1982;東京水産大学教授)が、寺田先生の言として書き残しています。
「本多さんは冬は熱海の温泉観測へ、夏は海岸の静振観測へ出かけた。夜は大学で毎晩十二時頃までも実験し、・・・。 本多さんから興味と熱心、根気が研究の根本ということを教えられた。・・・・」〔寺田寅彦との対話(アテネ文庫)〕より
静振(せいし):湖や内湾の水位の振動のことで、風による吹き寄せなどによって発生する。その周期は水域の大きさや深さに左右される。別府湾には、周期が110~120分、10~20分、3~5分の3種の静振がある。振幅は数cm程度である。
寺田寅彦は、尺八の音響学的研究というユニークな研究で理学博士号を得ましたが、温泉についても独特の視点から研究を行いました。たとえば、温泉の熱源のひとつとして、地殻変動による発熱の可能性を論じています(昭和5年:1930)。また、門下生の宮部直巳(1901~1973;名古屋大学教授など)と共同して水準測量結果を解析し、土地の沈降と温泉湧出のあいだに関係があることを指摘しました(昭和10年:1935)。
(
由佐悠紀)
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