今は昔、地中から水が湧き出す泉のうち、温かく感じられるものに「温泉」という名称が付けられました。名付けたのは、中国・後漢の政治家・文人にして自然科学者でもあった張衡(78~139)と言われています。火山国・日本では、それ以前から温泉が知られ、人々に利用されていたと思われるのですが、8世紀に入って「古事記」・「日本書紀」・「風土記」などが編さんされたとき、外来の漢字を得て、ようやく温泉が記録されました。
大分県に関する古記録「豊後国風土記」には、日田郡・直入郡・大分郡・速見郡の項に温泉(または、温泉と思われるもの)が登場します。ただし、「温泉」という言葉そのものではなく、「温之泉」「温湯」「湯河」「湯泉」「湯井」などが当てられています(沖森・佐藤・矢嶋,2008)。
それから1000年以上が過ぎて、日本が近代国家に生まれ変わったとき、温泉に対する人々の考えにも変化が生じ、客観的な温泉の定義が必要となりました。代表的な自然科学的定義は、次のようなものです〔(湯原・瀬野,1969)に基づく〕。
「普通の地下水の温度より高温の水が地中から地表に出て来る現象。」
「温かい」という感覚・概念は、「温度」という数値によって規定されることになりました。ここに現れている「普通の地下水の温度」は、その土地の年平均気温より1~4℃高い程度です。気温は根本的に太陽熱によって作り出されるので、この定義には「太陽熱に加えて、地球内部からの熱(とくに、火山活動と関連する熱)によっても加熱されていること」という認識・主張が込められています。
この定義は、自然科学的に合理的です。しかし、これによって規定される限界の温度は、場所ごとに異なるので、利用する立場からは不便です。そこで、太平洋戦争以前の標準的な温泉分析法であった日本薬学会協定法において、全国をカバーできる一律の限界温度として、「25℃」が選ばれました。この値は、日本各地における年平均気温を参照して決められたのですが、基準となったのは、当時の統治領であった台湾の平均気温だったようです。そして、昭和23年に温泉法が施行されたとき、25℃がそのまま踏襲されたのでした(服部、1959)。
国立天文台編集の「理科年表」に掲載されているデータによれば、日本で年平均気温が最も高いのは沖縄県那覇の22.7℃(1971年から2000年の平均値)ですから、25℃を採っておけば、全国に通用します。
このような限界温度は、当然ながら、寒冷地に厳しく、温暖地に甘くなっています。たとえば、年平均気温が6℃の所で湧き出す14℃の泉水は、明らかに地球内部からの熱で加熱されているにもかかわらず、温泉とは認定されません。
この不合理に応えるため、福富(1952)は「微温泉」という考え方を導入し、その下限温度を「その土地の年平均気温+7℃」として、温度(泉温)による温泉の分類を提案しました。この「7℃」は、一般的な地下増温率が約3℃/100mであること、そして、自噴する地下水の存在範囲を深さ100m程度までと想定して、先に記した4℃に3℃を加えたものです。
福富による温泉の分類:
普通の湧泉(冷泉) |
<(その土地の年平均気温+7℃) |
(その土地の年平均気温+7℃) |
≦ 微温泉 < 25℃ |
温泉 |
|
25℃≦ 暖泉 < 40℃ |
40℃≦ 熱泉 < 沸騰点(1気圧下で100℃) |
沸騰泉:水が沸騰状態にある. |
(参考)
江戸時代末期、日本に近代的科学を取り入れた先駆者の一人・宇田川榕菴(1798 ~ 1846)は、泉水を5段階に分類して、温度の高い方から順に「熱泉・温泉・暖泉・冷泉・寒泉」としています。
沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉(2008):「豊後国風土記・肥前国風土記」、山川出版社.
国立天文台(2009):理科年表」、丸善.
服部安蔵(1959):「温泉の指針」、廣川書店.
福富孝治(1952):「微温泉と冷泉の境界温度に就いて」、北海道大学地球物理学研究報告、2号、17-22.
湯原浩三・瀬野錦蔵(1969):「温泉学」、地人書館
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